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そしてこの経験から、1988年に改定された日米原子力協定では、核物質輸送に当たっての「特別の措置」が日本政府に義務付けられた。つまり、1992年に予定されていた2回目のMOX燃料輸送では、武装した兵士による乗船警備と戦闘艦艇での護衛が求められたのだ。

この「特別の措置」を海保と海上自衛隊のどちらに行わせるかという政府内での議論は、自然と「海保に」との結論になった。自衛隊のペルシャ湾派遣(1991年)やカンボジアPKO(1992年)すら想像もされていなかった当時、自衛隊を海外に出すということは、理由のいかんを問わず、時の政権にとって命取りの選択だったからだ。

自衛隊を見返す

だが海保は、遠くフランスから地球を半周するミッションを遂行できる巡視船も、特別に訓練された兵士も持たなかった。