8月31日の夜中、突如として増水した豆満江の水に兵舎が飲み込まれた。就寝していた兵士たちは、逃げる間もなく濁流に流された。いずれの兵舎も川岸から20メートルのところに位置していたため、被害を避けることできなかった。
小隊ごとに30数人が死亡または行方不明となり、難を逃れたのは歩哨に立っていた2人だけだという。
行方不明者そっちのけで…
さらに、堤防上にあった数十の警備哨所(監視塔)も全て流された。他より規模が大きい夜間探知機哨所も7~8人の兵士ごと流され、基礎すら残っていない。
8月31日の夜中、突如として増水した豆満江の水に兵舎が飲み込まれた。就寝していた兵士たちは、逃げる間もなく濁流に流された。いずれの兵舎も川岸から20メートルのところに位置していたため、被害を避けることできなかった。
小隊ごとに30数人が死亡または行方不明となり、難を逃れたのは歩哨に立っていた2人だけだという。
さらに、堤防上にあった数十の警備哨所(監視塔)も全て流された。他より規模が大きい夜間探知機哨所も7~8人の兵士ごと流され、基礎すら残っていない。