北朝鮮の朝鮮中央通信は20日、韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使について、「多額の国家資金を横領し、国家秘密を売り渡し、未成年強姦犯罪まで働いたことで、それに対する犯罪捜査のために去る6月にすでに召還指示を受けた状態にあった」とする論評を対外向けに配信。亡命は韓国による「謀略劇」であると非難した。

しかしその一方、北朝鮮の国内メディアがこの件に言及した形跡は見えない。犯罪捜査のための召喚が事実であれば、国民にそのように知らせればいい。それが出来ないのは、そんな作り話を言い立てることのバカバカしさ、そしてそのことがもたらす逆効果に、北朝鮮当局もまた気づいているからだろう。

北朝鮮の外交官たちが合法・非合法を問わずあらゆる手段を動員し、金王朝の「秘密資金」作りに従事させられているのは公然の秘密だ。「忠誠の外貨稼ぎ運動」と名付けられたその作業は1960年代から続けられており、そこで功をなして出世した幹部も少なくないと聞く。

大使の給料は9万円

だが、国家から課せられる上納金のノルマは常に、外交官たちの力量を超えるものだったようだ。

北朝鮮の外交官は、ただでさえ薄給だ。駐在国によって差はあるだろうが、大使でも日本円で9万円程度だというから驚く。それでも本国から送金されていれば良い方で、少なくない外交官が「自給自足」を強いられている。

さらには、密輸やマネー・ロンダリングなどの犯罪にまで手を染めながら、儲けを本国に送金したら生活費すらろくに残らず、爪に火を点す耐乏生活を強いられる虚しさを、筆者はある脱北外交官から直接聞いたことがある。

しかし彼らの名誉のために言っておくならば、北朝鮮の外交官の中にも、国を思う気概を持って働く人はいる。そうでなければ、非合理かつ融通の利かないお国柄の下で、国際社会から継続的に食糧支援を獲得することなどできない。

北朝鮮はまた、日米韓と鋭く対立しながらも、欧州各国からは「是々非々」で付き合う姿勢を引き出し、中東・アフリカ・東南アジアなどの友邦とは、独自の友好関係を維持してきた。その裏にもまた、個々の外交官の意地や機転があったのである。

上納金のノルマ

ところが、金正恩氏は父親や祖父にも増して、外交官たちの心の機微に鈍感であるようだ。

外交官たちとともに歴史を見守った経験もなく、独裁者としての準備期間もないまま、父親からいきなりすべてを受け継いだのだから当然かもしれない。

いま、祖国に忠誠を誓った北朝鮮の外交官が求められているのは何か。普通に考えれば、核・ミサイル開発に対する国際的な包囲網を打破することだろう。それは、金正恩氏にとっても多大な利益をもたらす。少なくとも短期的には、国民経済を助けることにもつながる。

そして、韓国や米国の姿勢が強硬であるだけに、北朝鮮の外交官が使命を果たすためには、文字通り死力を尽くさねばならない。

ところが、正恩氏はそうさせなかった。外交官たちを外交に専念させず、ほかの「仕事」でもこき使った。党大会や最高人民会議などの政治イベントに際し、また「70日戦闘」や「200日戦闘」といった増産キャンペーンに際し、巨額の上納金をノルマとして課したのだ。

たとえるなら、国のために決死の戦いに出ようとする兵士たちに、「ちょっとその前に泥棒をやって稼いで来い」と言っているようなものだ。

そしてさらには、そこに恐怖政治が重なる。正恩氏の言う通りに泥棒をしなければ、拷問されて殺されてしまうのである。

これではどんな人間だって、持ち場を投げ出したくなって当たり前だ。

北朝鮮の外交部門はこれから、急速に人材難に陥る可能性がある。

恐怖政治の逆効果

金王朝は、在外公館からの上納金を蕩尽することに慣れ切っている。もはや、それなしではやって行けないはずだ。

だから今後も外交官の亡命が続くようなことになれば、残された外交官に対する上納金のノルマは重くならざるを得ない。そうなればさらに、亡命の連鎖は拡大することだろう。

そして、そんな厄介な職業に就きたいと考える若者も減るはずだ。以前、たとえ上納金のノルマがあろうとも、北朝鮮の人々にとって海外駐在員は「花形」だった。

しかし最近は粛清を恐れ、国内で商売をしようとする向きが増えていると聞く。

本来、北朝鮮のような硬直した社会こそ、世の中の仕組みを回すために個々の人材の能力に依存する部分が大きいものだ。それを知らない正恩氏の恐怖政治は、人々を確実に委縮させている。

体制を引き締めるための恐怖政治が、かえって体制を空洞化させるという、崩壊に向けた逆説が、すでに回り始めているのだ。

今回の太公使の亡命は、正恩氏が、近い将来において直面することになる危機をそのまま投影している。

1997年の黄長ヨプ朝鮮労働党書記の韓国亡命に匹敵するとも言われる今回の事件は、金正恩体制の暗鬱な未来を見通したエリート層が、絶望の果てに選択した最善策とも言える。

そして、韓国の朴槿恵大統領は8月15日の光復節(解放記念日)の演説で次のように語った。

「北朝鮮当局の幹部とすべての北朝鮮住民の皆さん!

統一はあなた方すべてが、いかなる差別や不利益もなく同等に扱われ、それぞれの能力を存分に生かし、幸福を追求することのできる新たな機会を提供します」

北朝鮮の外交官が置かれた状況を思えば、この言葉が彼らにきわめて強い印象を与えたであろうことは想像に難くない。

第2、第3の太公使が現れるのも、時間の問題と言えるだろう。

    関連記事