金正恩党委員長が、朝鮮半島の統一の願いを込めた歌「われらの願いは統一」を「禁止曲」に指定したと米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。南北の統一を願う歌であり、北朝鮮でも広く歌われていたにもかかわらず、なぜ禁止されたのか。

韓流を広めた女性

「我らの願いは統一」の元々のタイトルは「われらの願いは独立」。朝鮮半島南半分が米軍の軍政下にあった1947年、国営放送のKBSラジオが放送したラジオドラマの主題歌として歌われた。大韓民国成立後の1948年、タイトルも歌詞も「独立」から「統一」に変えられ、小学校の教科書に収録され、広く歌い継がれるようになった。

この曲が北朝鮮に伝わったのは1989年。平壌で開催された世界青年学生祝典に、韓国政府の警告を無視してソウルから参加した林秀卿(イム・スギョン)氏(現国会議員)が歌ったのをきっかけにして、全国に広まった。統一の花として語られる林氏だが、その一方で、北朝鮮住民に韓国の豊かさと発展ぶりを知らしめた最初の人物でもある。

2000年6月に平壌で開催された南北首脳会談では、金正日氏と金大中氏、関係者が手を繋いで歌った。いわば、南北の「国民的唱歌な曲」が突如として禁止されたというのだ。咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋によると、禁止曲に指定されたのは7月の中旬。公共の場で歌った者も、歌った者を通報しなかった者も厳罰に処すという通告が、工場、企業所、人民班を通じて伝えられたという。しかし、なぜ統一を願う歌が禁止曲になったのだろうか。

せい惨な拷問が生んだ悲劇

「我らの願いは統一」は、韓国発祥の歌である。北朝鮮当局は、韓流や韓国文化が国内に広まることを極端に恐れている。つい最近では、韓流ドラマのファイルを保有していた女子大生が拘束された。北朝鮮当局は、彼女にせい惨な拷問を加え、悲劇的な結末を迎えることとなる。

先述のように「我らの願いは統一」は、韓国発祥の歌であり、林氏と同時に韓流が北朝鮮に広まる原点ともいえる。しかし、歌のテーマ自体は、普遍的であり、禁止するような理由も見当たらない。それにもかかわらず、金正恩氏があえて禁止にした理由は驚くべきものだった。

金正恩氏の願いは「統一」ではない

金正恩氏が禁止した理由は、「われらの願いはもはや『統一』ではなく、『軍事大国』だから」というものだ。RFAの情報筋によると、金正恩氏は、核保有国、軍事大国になれば、統一は自ずと達成されると考えているという。だとすれば、金正恩氏がなりふりかまわず核・ミサイルに執着するのも理解できる。

今回の禁止令に対して北朝鮮の人々は唖然としている。ある住民は「金日成氏、正日氏の統一論と金正恩氏の統一論は違うものなのか」と強い疑問を示す人もいれば、「体制の不安定化への過剰反応だ」と冷笑する人もいるとのことだ。いずれにせよ、金日成・正日氏と違い、南北分断が固定化されている時代に生まれ育った金正恩氏が、「祖国統一」の実現に、リアリティを感じていないことは十分にありうる。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

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