この曲が北朝鮮に伝わったのは1989年。平壌で開催された世界青年学生祝典に、韓国政府の警告を無視してソウルから参加した林秀卿(イム・スギョン)氏(現国会議員)が歌ったのをきっかけにして、全国に広まった。統一の花として語られる林氏だが、その一方で、北朝鮮住民に韓国の豊かさと発展ぶりを知らしめた最初の人物でもある。
(参考記事:北朝鮮のプロパガンダを骨抜きにした「韓流と林秀卿」)2000年6月に平壌で開催された南北首脳会談では、金正日氏と金大中氏、関係者が手を繋いで歌った。いわば、南北の「国民的唱歌な曲」が突如として禁止されたというのだ。