北朝鮮の姜錫柱(カン・ソクジュ)前党書記が20日、病死した。かつての金正日総書記の最側近の1人であり、北朝鮮外交の立役者でもあった。その実像を、1990年代に脱北した元北朝鮮官僚が語る。

金正日の側近の中でも、姜錫柱(カン・ソクジュ)は実力一本でのし上がった男だったと言える。

姜錫柱は1939年、平安南道の平原で4人兄弟の次男として生まれた。平壌外国語大学を卒業後、さらに平壌国際関係大学で学び、北京外国語大学の英語科に留学。1960年代、まず党国際事業部でキャリアをスタートさせ、1981年4月に外務省に移籍した。

その後たった6年で第1外務次官に上り詰めた。北朝鮮の外交エリートの中でも、異例の出世スピードである。1994年10月、核開発凍結の見返りとして軽水炉提供と関係改善を米国に約束させた「朝米枠組み合意」をはじめ、彼の実績と実力を疑う者は北朝鮮にはいなかった。

戦時下の虐殺体験

だが、姜錫柱について外交官たちの間で語り草になっているのは、そうした現在の活躍ぶりよりも、彼の少年時代のエピソードである。

1950年6月25日から53年7月27日まで続いた朝鮮戦争では、前線が38度線から南へ、南から北へ、さらにまた38度線へと、半島を嘗め回すように移動を繰り返した。支配者が入れ替わりたちかわりする中、地域住民の間には深刻な感情的対立が醸成され、報復が報復を呼ぶ悲劇を生んだ。姜錫柱も、その只中にいた。

開戦当初、米韓軍の不意を打って韓国南東部の洛東江ラインまで破竹の進撃を続けた朝鮮人民軍は、補給線が延び切って最後の攻略に手間取り、その間に国連軍の巻き返しにあって中朝国境まで壊走した。

追撃する韓国軍は、北朝鮮地域内で住民らによる治安隊を組織。「アカ」の監視・摘発を行わせるが、中には暴走して虐殺に及ぶこともあり、姜錫柱の両親も殺されてしまう。

ナタや斧を手に乱入

しかし、中国義勇軍の参戦で戦況はまたも一変する。

国連軍は後退を余儀なくされ、平安南道地域の支配権は再び、共産側に移った。両親を殺されながらも難を逃れていた姜錫柱は好機とばかりに、兄・錫崇(ソクスン=党歴史研究所所長・故人)、三男・錫龍(ソクリョン=タイ駐在国連食糧農業機構職員)、末弟(氏名不詳)とともにナタや斧を手に治安隊員宅に乱入。両親の殺害犯たちを皆殺しにしてしまった。

戦時とは言え、本来なら許されない行為なのだが、この逸話を知る人々は皆、「英雄的行為」として称えていた。金正日は日ごろから、完全実力主義の姜錫柱を「男らしい性格だ」と評していたが、このエピソードを指してのことかも知れない。

その「男らしい」姜錫柱にも、弱点はあった。ずばり、女だ。

世話を焼く「女性」

姜錫柱の自宅はもともと、高麗ホテル近くの幹部用アパートにあったが、1997年に金正日が新たに建てさせた高級アパートに移った。

このアパートは招待所が立ち並ぶ文繍通り沿いの林の中にあり、5階建てで1フロアが100坪というかなり大きなものだ。数棟が並んでおり、外務省や統戦部、人民武力の高級幹部たちに各1フロアが与えられた。

毎朝、冷凍車が新鮮な食料を配給して周り、子供たちは専用の送迎バスで学校に通う。夫人たちには毎月、小遣いとして2000ドルが支給されるという。

しかし、外交の司令塔として多忙を極める姜錫柱自身が、ここに帰宅することはほとんどない。

秘密パーティーの内幕

普段は外務省の庁舎で寝起きし、週末は金正日の開く「秘密パーティー」に体を取られていた。それに彼には、妻以外にも身の回りの世話を焼く女性がいくらでもいた。

「秘密パーティー」の実態の一端は、韓国や日本において、すでに世の知るところとなっている。飢餓に苦しむ国民を尻目に、傍らに美女をはべらせて、高価な酒と贅を尽くした料理をむさぼる。まさに民族の恥とも言える破廉恥な行為だ。

しかし、このパーティーが、ただ北朝鮮支配層の蕩尽の場としてのみ存在してきかと言えば、それは違う。傍目には醜悪な行為だが、これはこれで重要な機能を持っている。

パーティーは、外務省や統戦部、国家保衛部などの重要機関がそれぞれ管理する招待所で、持ち回りで開かれる。どの招待所が使われるかは、当日まで明らかにされない。参加者はいかなる高級官僚でも、専用車を自ら運転して開催場所に行かねばならない。運転手すら信用しないほど、金正日は身辺警護と保秘の徹底に気を使っていたのだ。

金正日の「一喝」

堅く閉ざされた秘密のベールの内側で、酒池肉林の饗宴を繰り返す参加者たちは、国民に対する背徳の共犯者のようなものだ。

それだけに彼らの間では、何事もざっくばらんに話し合われる。

北朝鮮国内に、「タカ派」や「ハト派」などというものは存在しない。すべての政策は、関係各機関の調整を終えた上で金正日の決済をあおぐ。金正日がこれを承認し、文書の表紙に日付とサインを書き込んだら、それはもはや何人も冒してはならない「絶対的な法」と化す。だから、行政段階ではタカ派とハト派の対立が生まれる余地はないのだ。

ただ、政策立案段階では、各機関の意見が対立することはある。しかも、双方とも原則論で押しまくるから、調整は容易ではない。そこで、週一度のパーティーで、互いのトップが腹を割り、角つき合わせて話し合い、最後に金正日が「いったい何が問題なのだ!」と一喝する。そして双方の言い分を聞き、「さばき」を下すのである。

劇団や舞踊団から…

「秘密酒パーティー」は金正日にとって、カネやモノの力で部下の忠誠心を買い、同時に酒の力で本音を吐かせる側近統制の手段となっていた。と同時に、すべての権限を自分に集中させたために極端な縦割りになってしまった、行政システムの弱点を補うためのものでもあったわけだ。

秘密パーティーに参加する面子は極めて限られており、外務官僚では私の知る限り、姜錫柱と金桂寛のふたりだけだった。参加頻度は10対1で姜錫柱の方が圧倒的に多い。

外務省には姜錫柱をサポートするスタッフが複数おり、筆頭の男性秘書には外務省の局長クラスが付いた。他に、身の回りの世話を焼く女性の「技術秘書」が付くのだが、何のことはない、これは愛人の隠れ蓑である。

姜錫柱は自ら、劇団や舞踊団から好みの女性を選んでは3~4年ほど仕えさせる。食事の世話から夜の床まで共にするのだから、まるで新婚夫婦の生活だ。彼女が適齢期になると、若手の外交官と結婚させ、また新しい女性を連れてくる。

お楽しみの「落とし前」

結婚した女性たちには、それまでの奉仕に対する褒美として外交官の地位を与え、夫とともに海外勤務に出す。

金正日は、既婚者だった女優の成恵琳(02年7月、モスクワで死亡)を強制的に離婚させて内妻とし、長男の正男を生ませているが、彼女と別れた後も、彼女と前夫・李平との間の娘に負い目を感じ、エリート外交官と結婚させて海外に出しているという。

外交官と結婚させて海外に出すのは北朝鮮式の、不義の落とし前のつけ方というわけだ。

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