北朝鮮による拉致の疑いが否定できないとされる特定失踪者の1人で、福井県出身の男性が今月上旬、国内で見つかり家族と再会した。男性を保護した福井県警によれば、「拉致の可能性はない」という。

民間団体の特定失踪者リストは現状でも300人近くが公開されており、今後もこうしたケースが続く可能性がある。そして、それとはまったく逆に、拉致被害者と家族との再会が遠のいてしまうことが懸念される。

「核の暴走」の裏に人権問題

北朝鮮は2月12日、日本が対北独自制裁を決めたことに反発し、拉致被害者などに関する包括的な調査を全面的に中止すると宣言した。これは、十分に予想されたことだ。北朝鮮の核・ミサイル開発に対して、日本が毅然とした態度をとるのは当然だろう。だが、その後の政府の対応には、問題があると言わざるを得ない。

安倍晋三首相は先月の政府・与野党拉致問題対策機関連絡協議会で、北朝鮮による拉致被害者らの再調査などが盛り込まれたストックホルム合意について「破棄する考えはない。対話の窓口を閉ざすことなく、引き続きこの問題の解決に向け全力を尽くす」と改めて強調した。

安倍首相は、これをどこまで本気で言っているのだろうか。彼の言うストックホルム合意は、日朝間の懸案を解決したら国交を正常化しましょう、ということが前提になっている。しかし常識的に考えて、日本が金正恩体制の北朝鮮と国交正常化したり、大規模な経済支援を行ったり出来るとは思えない。

北朝鮮に清算させるべき問題は、核・ミサイル開発と日本人拉致だけではない。それらと同じくらい、人権問題の重要度が増してきている。そして、北朝鮮の国家的な人権侵害を国連で告発し、国際的なイシューとしてきたのは他ならぬ日本政府だ。

自衛隊では救えない

そして、そうした経緯を知りつつ厳しく認識すべきなのは、金正恩氏が核やミサイルを放棄することはあり得ても、人権問題を進んで清算するなど考えられないという現実だ。

正恩氏に核とミサイルの開発を放棄させるだけなら、経済支援をカードに交渉すれば、いずれどこかで折り合いがつく。しかし、人権問題はそうはいかない。仮に正恩氏が政治犯収容所の閉鎖を決断しても、虐待の末に膨大な人命を奪った罪は決して消えないからだ。

そして日本も、民主国家として、そんな国と率先して国交を結ぶわけにはいかない。国連で北朝鮮の人権侵害を自ら告発してきただけに、なおさらである。

これくらいのことは、バカでない限り誰にでもわかる。もちろん正恩氏もわかっているはずで、彼が期待しない以上、「国交正常化」が日本側の交渉のカードになるはずがないのだ。

だからといって、私は北朝鮮との交渉を止めてしまえと言いたいわけではない。軍事的な解決はムリなのだから、やはり話し合いは必要だ。

それに、生存しているかも知れない拉致被害者の命には限りがある。北朝鮮の体制が変化するのを、気長に待ってなどいられない。

こうして現実的な検討を重ねて行けば、何が出来なくて何が出来そうか、自ずと分かる。結論を言うなら、北朝鮮と水面下で「裏取引」をするしかないのだ。

もちろん、安倍首相がそんなことを表立って宣言するわけには行かないだろう。しかし、少なくともマスコミは本質的な議論を行い、日本政府に対し、拉致問題での「現実的判断」を促すべきではないだろうか。

高英起(コウ・ヨンギ)

1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記

    関連記事