これは逆に言えば、当時の北朝鮮国民が白い米を食べられていなかった、つまり貧困から脱却できなかったことを金日成氏が認めたことを意味する。実際、2010年1月に金正日氏は、「(金日成の)遺言を貫徹できずにいる」と話したと労働新聞は報じた。その正日氏は、「2012年に強盛大国の門を開く」と主張したが、スローガンはいつの間にか立ち消えた。
金正恩氏は、先代二人が解決できなかった「経済難」という負の遺産を最初から背負って指導者となった。それだけに、今回の党大会で、「経済難解決に向けて、新しい経済方針を訴えるのでは?」という内外からの希望的観測もあったが、金正恩氏が自らの口で語った「事業総括報告」を読む限り、悲観的にならざるをえない。
金正恩氏は、事業総括報告で、2016年から2020年まで「国家経済発展5カ年戦略」を徹底的に実行するべきと主張した。具体的ではない「戦略」という曖昧な言葉に、経済面における自信のなさが見え隠れする。「●●計画」のように、具体的な数字を提示して、もしそれが達成できなかった場合、いくら独裁国家といえども、体制不安の火種となる。また、正恩氏の大きな汚点になりかねない事情もあり、巧妙にごまかした感が拭えない。
北朝鮮国民が、口では言わないものの、内心では待望している「改革」と「開放」は明確に否定。「人民経済の向上」をアピールしているが、自力更生を焼き直した「自強力」という言葉を基に、曖昧な「国家経済発展5カ年戦略」を遂行するための理念や心構えを説くばかり。自信たっぷりに「核保有国である」と主張しているのとは、実に対照的だ。また、「苦難の行軍」と言われる90年代の大量餓死についても、外部に要因を求めるばかりで、ついに失政を認めなかった。
(参考記事:金正恩氏が「未曾有の大量餓死」を総括できない本当の理由)党大会の内容を踏まえたうえで、北朝鮮の朴正煕氏批判の論評を読むと負け犬の遠吠えにしか読み取れない。