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中朝国境の町、遼寧省丹東。そこから車に乗り、鴨緑江に沿って遡ること1時間。古ぼけた橋が見えてくる。当時の満州国政府が建設にあたり、1942年12月に完成した旧清城大橋だ。

朝鮮戦争の時、北部国境地帯まで追い詰められた北朝鮮軍を支援するために、中国人民解放軍は1950年10月、北朝鮮への進撃を開始した。多くの兵士がこの橋を渡り戦場へと向かったのだが、その中には毛沢東の長男、毛岸英もいた。

彼は同年11月25日、橋から南東に50キロほどのところの平安北道昌城郡東倉面大楡里(現在の東倉郡大楡労働者区)にあった中国人民解放軍の司令部作戦室で、米軍の爆撃に遭った。ナパーム弾は、藁葺きの作戦室をあっという間に燃やし尽くし、彼は逃げる隙もなく亡くなった。