これについて、Yはキッパリと否定する。
「こちらからそんな話を持ち出した事実は一切ない。ただし対話の場ができれば、日本側が拉致問題を持ち出してくるのは承知の上や。そこから解決につながるかは未知数やけど、話し合いをせんことには何も始まらんやんか」
しかし結局のところ、日朝が「Yルート」での対話を持つことはなかった。最初の接触に向けた調整中に、Yが逮捕されてしまったからだ。
そのことをもって府警を責めるのは筋違いかも知れないが、情報当局者の中から「もったいない」「どうして、もっと様子を見なかったのか」という声が聞かれるのも事実だ。
ちょうどYが逮捕された直後から2013年の春にかけて、朝鮮半島は北の軍事挑発によって情勢が緊張の度を増していた。対話ルートを構築する必要性は、いつになく高まっていたのだ。再び同様の事態に見舞われたとき、われわれは何ら対話の手段も持たぬまま、危機の激化に身をまかせねばならないのだろうか。