チェ:ノ・スンイル大佐と金英哲氏は、1966年ごろに偵察局(現偵察総局)所属の平安南道にある檜倉(フェチャン)外国語講習所を卒業した。この講習所は、外国に派遣するスパイを養成するために、偵察局が開設した。そこで、金英哲氏は中国語を専攻した。
金英哲氏が偵察局上佐になってからは、同期で親しかったノ大佐に会いに、人民武力省大使局によく遊びにきた。金英哲氏とノ大佐との間の会話や、彼の普段の姿などを見る機会が多かったことから、彼の性向などを把握できた。
Q.金英哲氏は、どのような人物だったか?
チェ:非常に聡明な人物だった。また、一度何らかの目標を定めたら、いかなる手段と方法を使ってでも必ず達成する性格だ。しかし、金英哲氏には致命的な弱点があった。出身成分が「白頭の血統」ではなく、大勢の親戚が中国にいたことだ。
チェ:1980年代に講習所を卒業した人物の多くが、海外に派遣されたが、先述の理由から金英哲氏にそのような機会は、なかなか回って来なかった。そのため、金英哲氏は、私が働いていた大使局を頻繁に訪れ、派遣の機会を得るために努力したようだが、結局、海外に派遣されることはなかった。
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