昨年12月末、対南工作や南北対話業務を行う朝鮮労働党統一戦線部部長の金養建(キム・ヤンゴン)書記が交通事故で死去した。後任について、北朝鮮の公式アナウンスはないが、偵察総局長だった金英哲(キム・ヨンチョル)氏(70才)が、統一戦線部長に昇進したと見られている。

金英哲氏は、2010年の天安艦沈没、そして同年の延坪島砲撃事件を主導した「強硬派」と知られている。はたして、金英哲氏とはどんな人物なのか。

デイリーNKは、北朝鮮人民武力省で対外事業局副部長を務め、金英哲氏を身近から見たという脱北者同志のチェ・ジュファル会長(元朝鮮人民軍上佐)から話を聞くことができた。

「金英哲氏は非常に聡明な人物だった」

Q.金英哲氏とは、いつどこで知り合ったのか。

チェ会長(以下:チェ):1980年半ばから1995年まで、金英哲氏の様子を見ることができた。彼の具体的な情報については、彼と同じ部門で10年以上勤務したノ・スンイル大佐が、私が所属していた人民武力省対外事業局にやって来たことによって知り得た。

チェ:ノ・スンイル大佐と金英哲氏は、1966年ごろに偵察局(現偵察総局)所属の平安南道にある檜倉(フェチャン)外国語講習所を卒業した。この講習所は、外国に派遣するスパイを養成するために、偵察局が開設した。そこで、金英哲氏は中国語を専攻した。

金英哲氏が偵察局上佐になってからは、同期で親しかったノ大佐に会いに、人民武力省大使局によく遊びにきた。金英哲氏とノ大佐との間の会話や、彼の普段の姿などを見る機会が多かったことから、彼の性向などを把握できた。

Q.金英哲氏は、どのような人物だったか?

チェ:非常に聡明な人物だった。また、一度何らかの目標を定めたら、いかなる手段と方法を使ってでも必ず達成する性格だ。しかし、金英哲氏には致命的な弱点があった。出身成分が「白頭の血統」ではなく、大勢の親戚が中国にいたことだ。

チェ:1980年代に講習所を卒業した人物の多くが、海外に派遣されたが、先述の理由から金英哲氏にそのような機会は、なかなか回って来なかった。そのため、金英哲氏は、私が働いていた大使局を頻繁に訪れ、派遣の機会を得るために努力したようだが、結局、海外に派遣されることはなかった。

韓国軍情報をすべて把握

そこで、金英哲氏は戦略を変えた。実力のみで出世レースに勝たなければならないと考えたわけだ。彼がどれほど勉学に励んだかは、1980年代末から見え始めた。

チェ:当時、北朝鮮では、月の第1週、第3週、第5週と隔週土曜日に講演会を開催していた。労働党の書記級と幹部、軍の将軍級が集まる中央党1組講演、大佐以上の幹部、内閣、省の局長級が集まる中央党2組講演、そして人民武力省の講演が代表的だ。当時、金英哲氏は偵察局7部長を務めており、高級幹部が集まる場に講演者として頻繁に登壇した。

通常、1時間から1時間半の講演を行うのだが、彼は原稿を一度も見ずに韓国の政治、軍事情勢をそらんじて説明した。韓国軍のシステムから幹部の名前と役職、任命日、安全保障会議の内容、部隊の場所、戦力配置など知らないことはなかった。

Q.出身成分がよくない金英哲氏が猛スピードで出世した理由は優秀だったから?

チェ:そうだ。もちろん、金英哲氏を後押しした人物がいた。2013年に処刑された張成沢(チャン・ソンテク)氏の兄、張成禹(チャン・ソンウ)氏だ。当時、張成禹氏は偵察局長を務めており、金英哲氏を自分の秘書のように働かせていた。張氏は、金英哲氏の働きぶりを見て、並みの賢さではないことに気づき、重用し後押しするようになった。

金英哲氏の本名は「金ドンス」

さらに、金英哲氏は故金日成氏と正日氏の信任を得る。1989年2月の南北当局者会談の予備接触の際に、北朝鮮代表として出席し、1990年9月の第1回南北高位級会談の際にも、北朝鮮側代表団に出席したことがきっかけだ。

金英哲氏の会談の場面を見た金日成氏は、「実に賢いやつだ」とほめたという。そして、金英哲氏の昇進作業が素早く行われるようになり、1991年には、偵察局副局長の地位を得る。

この時、「金英哲」に改名した。本名は金ドンス。金日成氏は「自分もパルチザン時代にはいくつもの仮名を使っていた」「金英哲という名前を使ってもいい」と言ったそうだ。ノ・スンイル大佐が金英哲氏本人から直接聞いた話として、私に語ってくれた。

Q.張成禹氏が金英哲氏をプッシュしたというのは実に興味深い。しかし、張成禹氏も張成沢氏も悲惨な最期を遂げたが、金英哲氏へ​​の影響はなかったのか?

チェ:張成禹氏は1988年に偵察総局長から左遷された。後押しする人物をなくした金英哲氏も、危うくないかと思われた。しかし、彼は言葉も行動も慎んだ。

三代にわたって信頼を得た金英哲氏

チェ:張成禹氏の後押しもあったが、それ以上に金日成氏と正日氏に実力で認められた経歴が重要に作用した。金正恩氏が、金英哲氏に重要なポストを与えたのも同様の理由だろう。対韓国戦略部門において金英哲氏の右に出る者がいないからだ。

金英哲氏は偵察局長を10年以上務めた。その後、偵察局は偵察総局に格上げされた。朝鮮人民軍史上、彼ほど長く務めた前例はない。それほど、金英哲氏は、金日成氏、正日氏、正恩氏と三代にわたって確実に信任されてきたということだ。

Q.金英哲氏は、かなり強硬な対韓国戦略家と評価されている。前統一戦線部長の金養建氏とは、傾向が正反対と言われている。今後、統一戦線部はどのような対韓国戦略を取ると見るか?

チェ:金英哲氏は、統一戦線部長だけでなく対南書記まで兼任することになったので、自分のスタイル通り、強硬策に出る可能性はある。統一戦線部長は、党の戦略に基づいて、自分の任務をこなすだけだが、対南書記は、対韓国戦略を統括する権限も持っているからだ。

対南強硬策に出る可能性も

チェ:さらに、本来偵察総局と統一戦線部は縦割りで、どのような任務をしているかお互いに通知することはなかった。しかし、金英哲氏は、統一戦線部でも偵察総局長の頃に、構想していた戦略や組織を引き続き活用する可能性もある。作戦部や調査部の業務など、偵察総局がやっていたことを統一戦線部に移管させる可能性もある。

もちろん、その過程で軍と衝突する危険性があるので、適当な時期を見て実行に移すだろう。いずれにせよ、金英哲氏は非常に聡明な人物だ。金正恩氏の信任を再確認して、対韓国分野において独自の地位を完全に固めた後、金養建氏が行ってきたことを自分のものにしていくだろう。

Q.具体的な例を挙げるなら?

チェ:私が北朝鮮にいた頃、統一戦線部は、朝鮮総連や海外同胞社会を、対韓国革命のための基地にしていた。韓国国民を扇動してスパイ網を組織しようとしていた。金英哲氏は軍出身なので、対韓国戦略を「挑発」という方法で解決しようと考える可能性もある。ただし、挑発は常に軍が行う役割なので、金英哲氏が、状況をどのように整えていくかは、さらに見守る必要がある。

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