韓国の学生を参加させるで、北朝鮮チームがボイコットしたソウルオリンピックとは違い、世界青年学生祭典こそが民族を代表する行事であると宣伝する意図があった。
1987年の民主化運動で全斗煥軍事政権が倒れた後だったが、韓国政府の許可なく北朝鮮と関わり合いを持つことは、今とは比べ物にならないほど厳しく禁じられていた時代である。それでも全大協は、林秀卿氏を北朝鮮に派遣することに決め、彼女は東京、ベルリン、モスクワを経て平壌に到着した。
金日成氏のプレゼントを置き忘れる
北朝鮮に到着した彼女は、熱狂的に迎えられた。しかし、林秀卿氏を利用して、北朝鮮の優位性を宣伝しようとする当局の狙いに反して、彼女の言動は予想外の後遺症を引き起こすことになる。