北朝鮮の朝鮮中央テレビで時々伝えられる韓国のニュースは「弾圧」「抗議集会」「デモ」などネガティブなものばかりだ。韓国のイメージ悪化が狙いだが、逆効果を生んでいる。

「韓国のものはなんでもカッコいい」

映像を見た北朝鮮の若者は、韓国に「スタイリッシュ」という印象を持ち、デモの横断幕やプラカードに使われている「韓国風の書体」を真似ると平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えてきた。

韓流ドラマや映画、そしてK-POPに触れて育った北朝鮮の若者たちの間では「韓国のものならなんでもかっこいい」という認識が一般化している。「他人より目立ちたい」「他人より進んでいると思われたい」と思うのは北朝鮮の若者たちも変わらず、韓流、そして「韓流文字」を真似るようだ。

朝鮮中央テレビで放映された韓国のデモのプラカード(画像:朝鮮中央テレビキャプチャー)
朝鮮中央テレビで放映された韓国のデモのプラカード(画像:朝鮮中央テレビキャプチャー)

韓流に対しては厳しい取り締まりを行う、北朝鮮当局も「書体」にまで文句をつけるのは無理なようだ。

かつては、こうした風潮は、国家安全保衛部(秘密警察)から送り込まれたスパイが逐一報告していたが、「もはや取り締まりは無意味」と判断したようで、スパイ活動は低調。若者達の「韓流話」もそれほど問題にならなくなっている。

また、送り込んだ学生スパイが訓練を受けていないアマチュアスパイゆえに、勘の鋭い学生にはすぐにバレる。スパイ学生を仲間はずれにした上で韓流話に花を咲かせる。

もはや、北朝鮮のプロパガンダは逆効果になりつつあるが、過去にもこうした事例はあった。そのきっかけは1989年に北朝鮮を訪問した韓国の女子大生、林秀卿(イム・スギョン)氏だった。

北朝鮮で熱狂を呼び起こした林秀卿氏

1989年、北朝鮮は、前年に行われたソウルオリンピックに対抗するために、第13回世界青年学生祭典の開催を決め、招待状を韓国の全国大学生代表者協議会(全大協)に送った。

韓国の学生を参加させるで、北朝鮮チームがボイコットしたソウルオリンピックとは違い、世界青年学生祭典こそが民族を代表する行事であると宣伝する意図があった。

1987年の民主化運動で全斗煥軍事政権が倒れた後だったが、韓国政府の許可なく北朝鮮と関わり合いを持つことは、今とは比べ物にならないほど厳しく禁じられていた時代である。それでも全大協は、林秀卿氏を北朝鮮に派遣することに決め、彼女は東京、ベルリン、モスクワを経て平壌に到着した。

金日成氏のプレゼントを置き忘れる

北朝鮮に到着した彼女は、熱狂的に迎えられた。しかし、林秀卿氏を利用して、北朝鮮の優位性を宣伝しようとする当局の狙いに反して、彼女の言動は予想外の後遺症を引き起こすことになる。

まず、白いTシャツにブルージーンズ(北朝鮮住民はマンボズボンと呼んだ)というファッションは、住民の注目を引いた。さらに「北朝鮮の体制にも問題がある」という歯に衣着せぬ発言や、故金正日氏から受け取ったプレゼントを平気で置き忘れるという行動は、ひたすら地味に暮らしてきた北朝鮮の人々に大きな衝撃を与えた。

彼女の存在は「自由」の象徴となり「南朝鮮(韓国)は米帝の支配を受けて人民は苦しんでいる」という当局のプロパガンダに、北朝鮮の人々が疑問を持つきっかけとなった。

「処刑されるから帰らない方がいい」

林秀卿氏は、38度線を越えて韓国に帰国したが、その後の処遇も衝撃を与える。

韓国に帰ろうとする林秀卿氏を、北朝鮮の人々は必死で引き留めた。「韓国に戻れば処刑される」と信じていたからだ。しかし、裁判で彼女に下された判決は懲役5年。それも3年半で仮釈放された。

「我が国だったら、少なくとも収容所送りになっている」と考えていた北朝鮮の人々は、またもや衝撃を受けた。さらに、彼女が2012年の選挙に出馬、当選して国会議員になったことも北朝鮮の人にとっては衝撃だったようだ。

最近、北朝鮮を訪れた日本人観光客は、案内員(ガイド)との会話のなかで林秀卿の話が出てきたという。

「板門店からの帰りの車の中で、ガイド(30代女性)とおしゃべりしていたところ、林秀卿の話が出た。そこで、彼女が国会議員になった話をしたところ、ガイドは驚きのあまりしばらく言葉を失っていた。そして何度も『本当か?』と聞いてきた。信じられないようだった」

彼女の訪朝やその後の行動をめぐっては、韓国国内でも未だに評価が別れる。しかし、たった一人で多くの北朝鮮のプロパガンダにヒビを入れたことは否定できない。

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