連載・日本の対北朝鮮情報力を検証する/公安調査庁編(4)

かつて公安警察官の教科書であった『警備警察全書』には、情報収集の手段として「視察内偵」「聞き込み」「張り込み」「尾行」「工作」「面接」「投入」の7つが示されている。しかし、対象組織に警察官を潜り込ませる「投入」は、すでに行われなくなって久しいとされる。

実在した「アンダーカバー・コップ」

身分を偽装して「投入」された警察官による情報収集が、他の手段に比べ、精度と量の両面で格段に優るであろうことは素人にも想像がつく。それなのになぜ、「投入」は行われなくなったのか。

きっかけとなったのは、1952年の「菅生(すごう)事件」だったとされる。

日本共産党は当時、農村に「山村工作隊」を組織して武装闘争を繰り広げていた。このような時代背景の中、大分県の寒村で駐在所が爆破され、共産党員ら5人が逮捕されたのが菅生事件だ。

事件が起きた際、現場付近に何故か大勢の警察官や新聞記者が待機していたことを不審に思った共産党は、5年にわたる執念の調査の末に、事件に関与していながら実行直前に姿をくらました「流れ者」の男を東京で発見した。

この男が、実は公安警察官だったのだ。

事件後、男は有罪判決を受けながらも、「ダイナマイトを運んだ」と自白したとの理由で刑を免除され、警察に復職。ノンキャリアとしては最高位の警視長にまで上り詰めて定年退職した。ただ、共産党の追及が効いたのか、公安警察はこの事件を最後に「投入」を中止したと伝えられる。

そもそも、「投入」は法律で認められておらず、潜入する当人の生命がかかるハイリスクな手法だ。しかしそれでも、日本のインテリジェンスの現場ではいまだに「投入」が行われているとの疑惑がある。その疑惑の的こそが、公安調査庁なのだ。

「どうしても証拠が必要だった」

2014年2月24日発売の『週刊金曜日』(金曜日)は、「公安調査庁職員が市民団体に潜入か」とする記事を掲載した。内容は、女性公安調査官が身分を隠して朝鮮総連を支援する日本人団体に潜り込み、情報を収集していたというものだ。

これは、厳密に言えば「投入」だろう。

取材の現場では、公安庁の関係者やOBたちも、情報交換のため時に饒舌な一面を見せる。ところがこの件については誰もが、いかなる言質も与えまいと寡黙な姿勢を貫いた。もっとも、このジャンルの取材を続けている記者にとって、彼らの沈黙は「雄弁な肯定」とほぼ同義であるのだが。

そうして取材を進めるうちに、ひとりの公安庁OBが断片的ながら過去の経緯を明かしてくれた。

「私が現役だったのは安保闘争が真っ只中の時代です。当時、確かに『投入』をやっていました。対象は、中核派とかブントとか、火炎瓶闘争なんかをやっていた過激なセクトです。

彼らは本気で革命を目指しており、デモでは機動隊から死者も出ていた。そこで、公安庁も過激派への団体規制(注:破壊活動防止法に基づき団体の活動を禁止・解散させること)を真剣に検討していたのです。ですから、過激派が『今後も暴力主義的破壊活動を継続するか』という、彼らの中枢の方針を知り、証拠となる資料をどうしても入手する必要があった。

過激派活動家の多くが大学生や若い労働者であったため、調査官がカバー(身分偽装)で潜り込みやすかった事情もあります。公安庁だけではなく、警察や自衛隊も同じようなことをやっていたはずですよ」(公安庁OB)

「総連潜入」が不可能な理由

とはいえこれは、すでに「歴史」となりつつある時代の話だ。機動隊から死者が出ていた当時と今とでは、状況が大きく異なる。公安庁は果たして、『週刊金曜日』が告発したような「投入」を行っているのか。より踏み込んで、朝鮮総連の内部には「投入」を行っているのだろうか。

この問いに対し、現役の外事警察官は「それは絶対に無理な話」と全面的に否定する。

「朝鮮総連の活動家の大部分は、幼稚園から大学まで、ずっと在日朝鮮人のコミュニティの中で育っている。そして日本全国から東京の朝鮮大学校に集められた幹部候補生が、全寮制で教育を受けている。つまり、九州から北海道まで、友人や先輩後輩の関係でつながっているわけであって、そこに日本人が潜り込むなんて絶対に不可能なんだよ。

ただ、朝鮮総連を支援する日本人団体を視察していると、ほかの人々と雰囲気が若干異なる新顔を見かける時がある。そんな時は『あいつ、コーチョーじゃないか?』って疑うけどね」(外事警察官)

「盲腸官庁」とも揶揄され、存在を脅かされ続けている公安庁は、そこから来る危機意識をバネに、ある意味で「果敢」とも言える情報活動を繰り広げているのかも知れない。

しかしそれが、中国での「日本人スパイ」拘束やメディアによる暴露に直面する事態につながっているとすれば、何とも皮肉な話と言える。もっともその全ては、歴代政権の「情報無策」に起因しているのだが。

(【公安調査庁編】おわり)

(取材・文/ジャーナリスト 三城隆)

【連載】対北情報戦の内幕/外務省編・外事警察・自衛隊編

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