連載・日本の対北朝鮮情報力を検証する/公安調査庁編(3)

2014年夏、朝鮮総連の許宗萬(ホ・ジョンマン)議長は洪仁欽(ホン・イヌン)監査委員長から手渡された報告書を読み、露骨に表情を歪めたに違いない。洪氏は次のように語ったという。

「公安がセセデ(注:「新世代」の朝鮮語。若手活動家を指す)への工作を強めています。残念ですが、警戒心が弱いセセデは次々に籠絡されています」

洪氏が委員長を務める監査委員会は、いわば朝鮮総連内部の秘密警察であり、組織内に潜り込んだスパイの摘発を任務としている。メンバーは朝鮮労働党に忠誠を誓ったエリートで、配下には行動確認――つまりは尾行や監視を行うチームまであるとされる。

狙われた若手商工人の証言

洪監査委員長が許議長に手渡した資料は、同年の春から急増した公安調査庁(以下、公安庁)による「工作」について、秘密裏に調べ上げたもの。そこには、公安調査官がジャーナリストなどに身分を偽装し、あるいは既に「協力者」(スパイ)になっている活動家を介して新たな標的に接近するなどの工作実態が、生々しく記されていた。

公安庁から工作の対象にされたことのある若手の在日商工人が、当時の様子を振り返る。

「ある日、朝鮮大学校時代の先輩から『久しぶりに一杯やろう』と連絡があり、赤坂の韓国クラブで飲んでいると、そこに偶然、先輩の知人だという日本人男性が現れたんです。一緒に飲みながら話してみると、貿易会社に勤めているというその男性は、『韓国の歌が好きなんです』と言ってK−POPを歌い出したり、『朝鮮学校への高校無償化が適用されないのはおかしい』と総連や北朝鮮に理解を示したり……」

しかし、かねて周囲から「公安庁に注意しろ」言い聞かされていた商工人は、直感的に「もしかして」と疑ったという。

「その後、男性から携帯に何度か電話がありましたが、無視し続けていると、しばらくしてかかって来なくなりました。本当はこういうことがあると組織に報告する決まりなのですが、先輩の立場を考えて止めておきました」

訓練も受けていない「ド素人」!?

こうして、「協力者」という名のスパイを獲得するために「工作」を仕掛けるのは、外事警察も行っていることであり、公安庁の専売特許ではない。

しかし外事警察OBは「公安庁と一緒にしてくれるな」とばかりに語気を強め、次のように話した。

「我々の『作業班』は、協力者獲得や情報収集の手段を教え込む警察大学校の公安講習を修了し、所轄署で実績を上げた者を引っ張り上げて構成する。そして、工作対象者に接触するまで1年以上の基礎調査を行っているんだ。

しかし公安調査官は普通の国家公務員と同じく、採用後に簡単な研修を受けただけで、調査官としての活動を始める。だから当然、情報収集の基本的なスキルは低い。

警察官でいえば交番のお巡りさんをやっている採用1〜2年目のド素人が、いきなり工作をやらされているようなものだ。そんな若造に海千山千の活動家を落とせるわけがない。工作は取調べと同じで、人間同士の精神の戦いなんだ」(外事警察OB)

深層情報を探る「禁じ手」

最近、中国当局により日本人が拘束された事件を巡っても、多くの識者が公安庁の情報スキルの低さを指摘している。しかし一方で、公安庁の集める情報は米中央情報局(CIA)や西側情報機関から、高い評価を得ているともいわれる。どちらの評価が実態に近いのか。

当の公安庁OBは、「どちらも正しい」と話す。

「犯罪という『出来事』を捜査する警察と、対象組織が何を考えているかという『傾向』を調べる公安庁とでは、活動の目的が異なる。例えば、うちにも研修所はあるが、教えているのは法律や理論が主であり、警察のように尾行や工作の訓練は行わない。

ただ、警察官が工作を行うようになるのは、早くても30代半ばからでしょう。うちは20代前半から実戦に投入する。確かに若手の失敗は多いが、それはそれだけ多くの実戦を経験しているということ。弾幕をかい潜れば、かすり傷のひとつやふたつは当たり前でしょう。

うちは組織内部から『深層情報』を取ることにかけては、警察に負けていない。盲腸官庁と揶揄されながらも、決して廃止されない理由はそこにあると思っている」

しかし果たして、組織の一部分を知るだけの協力者を運用しながら、極秘扱いの情報をどれほど取れるものなか。次回は公安庁が自らの存在理由を維持するため、「禁じ手」とも言える手法を用いているとの疑惑に迫る。(つづく)

(取材・文/ジャーナリスト 三城隆)

【連載】対北情報戦の内幕/外務省編・外事警察編

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