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時は金日成氏が存命中の1989年に遡る。1987年12月に始まった「平壌開城高速道路」の工事は概ね順調に進んでいた。ところが、1989年4月15日(金日成氏の誕生日)までに急ぎ工事を終えよとの指示が、当局から下される。

突如として指示された工期短縮。それに間に合わせるため、数多くの軍人や一般労働者が動員された。その効果もあり、路盤工事は必要なペースで進んだが、黄海北道(ファンへブクト)の金川(クムチョン)を流れる礼成江(レソンガン)に掛かるアーチ型の橋だけは工事が遅れていた。

完成を早めるため、橋の上では軍人たちと資材を積んだトラック、工事用の機械が慌ただしく行き交っていた。

ところが1989年4月14日、指示された工期完了の1日前のことだった。証言者によると、事故が起きたのは午前10時頃。橋が轟音とともに崩落した。橋脚だけを残して上部の床版(しょうばん)が川の中に落下したのだ。

アルコール飲み干し事故現場へ

500人以上の軍人がトラックや機械もろとも120メートルの高さから落とされ、川原にたたきつけられたのだ。大慌てで川原に降りていった人々が見たものは、地獄絵図だった。