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母が持って来た服を着たら、寒さも心配でなくなった。けれども、母とは5分も一緒にいることができなかった。

「お母さん、早く出ます。もう少ししたら政治部長(政治思想事業を専門に行う人)が来るので、その前に早く出ることにします!」

担当の警護員がひどく気をもんでいたので、母とはほとんど話すこともできないまま分かれた。その後母は、保安署長に頼んでご飯を差し入れてくれたが、私は一回も食べることができなかった。警護員たちがとってしまって、彼らの雑用を手伝った収監者のトクボンにそのご飯を全部あげてしまったのだった。

母と面会してから5日後に、私は母の顔をもう一度見るためにはかりごとをめぐらした。刑の宣告を受けて教化所に行く前に、母とひと晩だけでも一緒に過ごしたかった。私は盲腸炎になった演技をした。午後4時に右側の下っ腹をさすりながら寝転んだ。

頭部から流れる血

リ・ジョンス警護員の勤務時間だったが、彼は私が苦しんでいても、死のうが生きようが関係ないというかのように、最初から控え室に座って鉄門まで閉めてしまい、上部に報告もしなかった。

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