そのときの経緯について、在米韓国人ジャーナリストの文明子(ムン・ミョンジャ)は『週刊ポスト』(1977年3月18日号)に、こう書いている。
前年の、自民党総裁選に際して朴および彼の周辺は「福田優勢」と分析していたのだが、案に相違して田中が勝った結果、朴は自民党主流派に有力なパイプをもたぬことになった。そこで、田中の“刎頚の友”・小佐野賢治と親しい趙重勲に「政治決着」の可能性打診と仲介を命じたわけである。
そして、趙重勲と小佐野、田中らは3回にわたり密会。最後の「箱根会談」で、実質的な政治決着が決まったという。
ここで言う政治決着が、「カネによる解決」を意味しているのは言うまでもない。そこで動いたカネの額については、米国や日本、韓国の報道などで「3億円説」と「4億円説」、「合計7億円説」と様々出ている。
ちなみに、そういった一連の報道に対し、田中や小佐野、趙重勲らが反論を行った形跡は一切ない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面いずれにせよ、当時の韓国にとって日本円で億単位の裏金をポンと積むことは簡単ではなかったはずだ。その点でも、朴正熙が趙重勲を重宝したであろうことは想像に難くない。
果たして彼らは、いったいどれほどのカネで「金大中事件」にフタをしたのだろうか。(敬称略=おわり)
(取材・文/ジャーナリスト 李策)
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