特定の国および民族集団、あるいは在日外国人など少数者へのバッシングを目的とした出版物(ヘイト本)、そしてネット上でのヘイト表現はなぜ、これほどまでに広まってしまったのか。野間易通氏と李策氏を迎え、出版業界の内幕から旧来リベラリズムの弱点、これから進むべき方向性までを話し合った。鼎談連載の後半。(デイリーNKジャパン編集長 高英起)

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崇高かつ下品なコンテンツで勝負する

李策(以下、李) およそ10年前に『マンガ嫌韓流』が出て、その便乗本が出版され始めたころには、野間さんたちのように書店や図書館にまで文句を言おうという人たちはいませんでした。当時と今とで何が違うのでしょうか。

野間易通(以下、野間) いわゆるリベラルな人たちというのは、自分が「抑圧的だ」と見られることを避けたがりますからね。この表現は良くないな、と思っても「やめろ」と声を上げたり行動したりしない。その一方、ネトウヨはそんなこと気にせえへんから、『はだしのゲン』は反日マンガだから図書館から撤去しろと言ったり(韓国人女優をCMに起用した)ロート製薬を脅してみたり、何でもするでしょ。

高英起(以下、高) 自分と違う主張をつぶす上では本当に遠慮がないですからね。ネット空間の匿名性が、その傾向を爆発的に加速させた。

20150416野間氏対談04
野間易通氏(右)と高英起デイリーNKジャパン編集長

野間 インターネットが普及し始めた1995年から90年代いっぱいぐらいにかけて、ネットの中で「タブーをつくらない」ことにこだわってきたのは、実はリベラルの側やったんです。既得権を持つマスコミは色んなことを隠しているけれども、「ネット言論はそうじゃない、何事も隠さず議論すれば集合知によって正しい結論に近付くんだ」という信念みたいなものがあって、それがしだいにドグマ(教義)化してきた。その中で、権力に対抗する手段として匿名性が重視されてきたわけです。

 ウィキリークスなんかはそういうものになっていますよね。ところが日本では……。

野間 そう。日本では匿名性を権力に向けずにマイノリティーを攻撃したり、一般の人々をさらし上げて炎上させるみたいなことばかりが横行してきた。リベラルな人々が思い描いた言論のユートピア(理想郷)とは正反対の、悪意とウソが蔓延するディストピア(暗黒郷)が生まれてしまったんです。

 いまや自由な匿名言論が良い方向に作用するなんて理念を、当のネットユーザーたちはほとんど誰も共有していませんね。

野間 私利私欲、あるいはストレス解消とか安っぽい正義感を満たすために匿名言論を使う人間の方がよっぽど多い。集合知によって差別的な表現が駆逐されるどころか、それに乗っかってくるヤツばっかり。これじゃあマイノリティーが不利になる一方だということを、いいかげん総括せなアカンと思います。表現の自由だとか言論の自由だとかを金科玉条のように振り回している人たちは、そういった大きな時代の変化を把握できていないんです。

2014年の東京大行進に参加した野間易通氏。(撮影:島崎ろでぃ)
2014年の東京大行進に参加した野間易通氏。(撮影:島崎ろでぃ)

李策 状況がこうなってしまったせいで、表現する側にとってもやりにくくなっている部分があります。メディア、とくに雑誌業界には、やや過剰に在日をキャラクター視する傾向があるじゃないですか。私なんかはそれを逆手にとって、在日のアウトローたちに関する原稿なんかを売って来たわけです。

 ヤクザだとか、1980年代のバブル紳士たちの話とかね。

読売新聞あたりもヤバい

 ええ。そういう話に踏み込めるのは、かつて在日がどう生きてきたかを知っている人が大勢いて、彼らが在日に対する“レッテル貼り”みたいなものを阻んでくれると信頼していたからなんです。ところが最近じゃ、そんな都合のいい考えができなくなってきた。アウトローの話に踏み込む前に、むかしの在日がどんな生き方をしてきたかをいちいち説明しなきゃならないんじゃないかと、そんなことが気になりだしてしまって。

野間 僕の大学時代にも、在日に対する就職差別は厳然と存在してました。バブル真っ盛りで面接も受けずに内定が出ていた時代に、在日の友人がひとりだけ就職が決まらず打ちひしがれていた。勉強もできたのに、本名を名乗っていたことが引っかかっていたようです。ネトウヨのメインは40代だから、そういう状況を見ていないんでしょう。だけど、そういう経緯も知らんと特別永住がどうたらこうたら言っているのを見ると「ボケっ!」と思いますね。(関連記事⇒ある在日3世の自画像

 ただ、むかしのことに興味がないのはネトウヨ以外の若者も同じでしょう。というか、若手の編集者にも珍しくないんやけど、情報収集をほとんどネットに頼っているからインターネットが生まれる前の情報にはアクセスできない。

 その一方で、既存メディアのヘイト企画の量産は出版からネットにも“逆流”していく可能性があります。売れなくなった紙媒体がニュースサイト化していく趨勢の中で、編集者がページビュー(PV)欲しさにヘイトっぽいタイトルの記事を作りまくっているんです。ハッキリ言って、読売新聞あたりもヤバいですよ。

野間 メディアがネットでヘイト寄りの企画を展開するのは、ページビュー(PV)を取りたいからでしょう。日本の人口が減ってマーケットが縮小している以上、メディアもなりふり構っていられない。彼らのPV至上主義は止められへんでしょうね。ということは、こっちはこっちでPVを取れるコンテンツを持つしかないやんと思います。

「どっちもどっち」なんて言えなくなる

 たとえば、しばき隊みたいな?

野間 そうですね。男組みたいに刺青を入れた悪そうなヤツらが暴れてるけれど、あれはいったい何なんだと。しかし良く見たら、実は本当に悪いヤツらをやっつけてるんじゃないかと。そうやって見ている人にとっては「暴れるのはどうかと思うけど、差別は良くないよね」という結論にしかならない。やっている本人たちは捨て身ですけどね。刑務所には入れられないにせよ、警察に逮捕されて、得することなんか何にもない。
でも、世間の人は別に彼らの崇高さを感じる必要はなくて、「刺青の悪そうなヤツが暴れているけど、相手はどんな連中なんだ!?」という風にコンテンツを消費してくれればいい。そうやって消費される中で、やっている本人たちの主張が広がって行くんです。

2014年12月、京都朝鮮学校襲撃事件「5周年」と称して行われたヘイトデモに抗議しているカウンター参加者 (撮影:島崎ろでぃ)
2014年12月、京都朝鮮学校襲撃事件「5周年」と称して行われたヘイトデモに抗議する人々。中央は男組の元組長、高橋氏。 (撮影:島崎ろでぃ)

 刺青の入ったコンテンツなんて、たしかに従来のリベラルにはなかった。

野間 そうでしょう。反差別やリベラリズムの人たちは、本のタイトルひとつとってみても学術書みたいに無難なやつをつけちゃう。そんなんじゃダメ、もっと煽れと僕は言っている。結局、PVを取れるのはしばき隊とか男組みたいなコンテンツなんです。一見して下品な興味をそそる作りであっても、中身はリベラルであるというような、そういうコンテンツによってヘイト表現を駆逐していくしかないと思う。

 すでに、それが現実のものになってきています。

野間 ブログで「レイシストをしばき隊を作りまーす」と宣言したのが2013年1月30日で、最初の出動が2月9日なんですけど、その10日の間に思い切りネトウヨが炎上させていましたから。こっちにはまだコンテンツが何もないのに、「何か出てきたぞ」と。それで、どんなもんが出てくるんだと期待が最高潮に達した所で、うまいことやっつけることができた。しばき隊の悪口を言おうとする連中も出てきたけど、うまいこと言えない。「殴っていると思ったら、本とかも出しているじゃないか。なんか音楽関係者が多いみたいだし……」てな感じで、悪口を言おうとすればするほど広まるコンテンツになっているんです。

 「ヘイト豚死ね」みたいな横断幕を見て「どっちもどっちじゃないか」と言う人もいたみたいだけど、それもだんだん聞こえなくなりましたね。

野間 本当にどっちもどっちだと思うかと問われたら、そんなこと言う方がむしろダサいとみんな気付くんです。そういう流れの中で、在特会は完全にパブリック・エネミーになったし、オワコンになった。2011年ぐらいまではヘイトし放題だったけど、いまじゃ、そうはいかない状況があるわけです。もちろん、桜井誠や山野車輪らがもたらしたものは、まだまだ社会にどてって横たわっています。切り崩すには時間がかかる。

 でも、ネトウヨも20年かけてここまできたわけです。

野間 だからこっちも、20年とか30年とかのスパンを考える必要があるでしょう。いま20代半ばの人たちは、物心ついてネットに接続した時点でヘイト一色だったという世代です。だけどいまの中高生は、カウンターがネトウヨをやっつけるのを見ながら育って行く。これは20年後の社会に確実に影響を与えますよ。むしろその頃には、「左翼にこの国が支配される!」と言われるくらいの状況にしたいですね。(おわり)

【鼎談-上-】
ヘイト本はいかに蔓延したのか…社会の雰囲気を歪める出版の「広告主義」
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ある在日3世の自画像「学歴で自分を飾る選択肢なんかないと思っていた」

2014年3月、池袋で行われたヘイトデモに中指を建てて抗議しているカウンター参加者 (撮影:島崎ろでぃ)
2014年3月、池袋で行われたヘイトデモに中指を立てて抗議する人々。 (撮影:島崎ろでぃ)

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