朝鮮人民軍 海外戦記/中東編(8)

エジプトと北朝鮮の友好関係は、連載の最初に述べたようにムバラク政権崩壊までは続いていく。だが、第4次中東戦争で北朝鮮のパイロットをエジプトに派兵させた総参謀長のシャーズィリーは、北朝鮮のパイロットたちを指揮した空軍司令官、ムバラクとは運命を別にした。

【連載-1-】アラブ諸国に加勢しイスラエルと戦っていた北朝鮮空軍

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第4次中東戦争の後、北朝鮮を訪問したエジプトの軍事代表団と金日成(前列中央)

イスラエルに初めて敗北感を与えたシャーズィリーは、そのままいけば国民的英雄になれるはずだったが、戦争中からサーダート大統領と衝突し、戦後、1973年12月に駐イギリス大使に、続いて駐ポルトガル大使に左遷された。

第4次中東戦争によって国民的英雄になったのは、空軍司令官のムバラクであった。ムバラクは戦後、「シナイの星」勲章を授与され、1975年4月16日にはエジプト副大統領に就任している。

サーダートに反発したシャーズィリーと、サーダートに付き従ったムバラクであったが、いずれの運命も時代の波に揉まれることになる。

サーダートは、イスラエルとの和解を模索していた。1978年9月5日から17日にエジプトとアメリカ、イスラエルの首脳が会談し、エジプトとイスラエルの平和条約を締結する交渉を始めるなどの「キャンプ・デービット合意」が交わされた。

1979年3月26日にはエジプト・イスラエル平和条約が締結され、エジプトはアラブ諸国で最初にイスラエルを国家承認した。これには他のアラブ諸国だけではなく、国内の反発も大きかった。

そして1981年10月6日、第4次中東戦争の戦勝記念日に行われたパレードの最中、サーダート大統領は暗殺された。

その間、サーダートによるキャンプ・デービット合意を公然と批判したシャーズィリーは、アルジェリアやロンドンへの亡命を余儀なくされていた。1979年には、サーダート批判のために回顧録『十月戦争』を発刊、その中で北朝鮮パイロットのエジプト派兵について詳しい内容を明らかにした。

韓国との国交樹立を拒む

しかし、そのために彼は、軍事機密漏洩の罪によって欠席裁判にかけられ、3年の懲役刑を受けた。『十月戦争』は発禁となり、英語版の抄訳のみがわずかに知られるだけとなった。シャーズィリーは政治の表舞台から退いたのである。

それとは逆にムバラクは、サーダート暗殺後の1981年10月14日、エジプト大統領に就任した。ムバラクはサーダートの遺志を継いで、アメリカやイスラエルとの関係を維持し続けた。第4次中東戦争を共に戦ったシャーズィリーとムバラクは、全く異なる道を歩んでいた。1992年にエジプトに帰国したシャーズィリーは収監され、服役後も隠遁生活を余儀なくされる。

ムバラクは、サーダートの親米路線を引き継ぎながらも、アメリカの同盟国である韓国との国交樹立は拒み続け、長らく北朝鮮に対する支持を明確にしていた。ムバラクは、副大統領として1980年1月、大統領として1983年4月、1990年5月、1992年10月に北朝鮮を訪問。現地では大歓迎を受け、金日成と会談し、友好関係を深めていった。

1977年からエジプト外相であり、1992年から国連事務総長を務めたブトロス・ブトロス=ガリがエジプトと韓国の国交樹立をお膳立てしようとしても、ムバラクはそれを邪魔し続けた。金日成との友好を大切にし続けたのである。

しかし、1994年に金日成が死去し、当時エジプト総合情報庁長官であったオマル・スレイマンが秘密裏に韓国を訪問して金泳三大統領と会談。韓国との国交樹立をムバラクに強く勧めたことで、1995年にエジプトは韓国と国交を締結した。

このスレイマンがムバラク政権末期に副大統領になって、ムバラク大統領の辞任を発表した人物である。しかし、ムバラクは北朝鮮を見捨てたわけではなく、南北朝鮮の仲裁役になろうとしたようである。1997年8月26日に在エジプト北朝鮮大使である張承吉のアメリカ亡命が明らかになったが、北朝鮮との関係に影響はなかった。ムバラクは、1999年4月に韓国を訪問したときにも、南北朝鮮の和解を求める態度には変わりなかった。

人権問題でも擁護

ムバラク政権は、北朝鮮に対する制裁にも反対の態度を示していた。2006年10月14日に国連安保理で対北朝鮮制裁決議1718号が採択され、全ての国連加盟国に対して決議の採択から30日以内に制裁状況を報告するように要請されたが、ムバラク政権は報告しなかった。2009年6月13日に採択された決議1874号でも、45日以内に報告するように要請されたが、それにも応えなかった。

エジプトが報告したのは、ムバラク政権が倒れ、ムハンマド・ムルシ政権が成立する前日の2012年6月29日であった。ちなみにムルシ政権は、北朝鮮と友好関係が続いているシリアのアサド政権との国交を絶っている。

しかし、そのムルシ政権も、2013年3月7日に採択された決議2094号については報告しないまま、7月3日にクーデターによって倒れた。その後のエジプトの政権は、北朝鮮を擁護する態度を再び示している。2014年12月19日に国連総会で採択された北朝鮮人権状況決議では、エジプトは、シリアと同じく反対票を投じた。もちろん、ムバラク政権期のエジプトは、2005年12月以来、国連人権委員会や国連総会における北朝鮮人権状況決議にも反対票を投じてきた。現在のエジプトは、それと変わらず、北朝鮮を擁護するようになってきた。

エジプトとシリアは第4次中東戦争以来、基本的には北朝鮮を支持し続けているといえる。エジプトがイスラエルと国交を樹立し、シリアとの国交を絶つなど中東情勢は大きく変わってきたが、第4次中東戦争における北朝鮮パイロットのエジプト・シリアへの派兵は、エジプトとシリアが北朝鮮を支持し続ける基礎を作り上げていたのである。(中東編 おわり)※次回はアフリカ編です。

(宮本 悟 聖学院大学教授)

【連載】 『朝鮮人民軍 海外戦記』一覧

朝鮮人民軍 海外戦記

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宮本 悟(みやもと・さとる)

聖学院大学基礎総合教育部特任教授。1970年生まれ。1992年、同志社大学法学部卒。1999年、ソウル大学政治学科修士課程修了(政治学修士号)。2005年、神戸大学大学院法学研究科博士後期課程修了(博士号/政治学)。2006年から日本国際問題研究所研究員、2009年から聖学院大学総合研究所准教授などを経て、2014年から現職。

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