韓国南部の大邸(テグ)市。人口250万の韓国第三の大都市だが、保守的でよそ者に対して冷たいことで「定評」がある。その大邱に住む脱北者が最近、「脱大邱」する傾向にあると大邸の地方紙、嶺南日報が伝えた。

賑わう大邸の繁華街 ©JI HOON KIM
賑わう大邸の繁華街 ©JI HOON KIM

就職難に脱北者への偏見「脱大邸」する脱北者

昨年12月の時点で大邱市内に住んでいる脱北者は683人で昨年6月の702人に比べると減少している。脱北者が大邸を離れる理由として一番に挙げられるのは就職難だ。

韓国統一部所管の脱北者支援財団である「南北ハナ財団(ハナ財団)」の「2014北韓離脱住民実態調査」によると、大邸の脱北者の雇用率は51.3%で全国平均の53.1%より低い。

一方で同じ慶尚道(キョンサンド)の蔚山(ウルサン)市の脱北者定着率は104.9%だ。重工業中心の産業構造で就職先が多いなどの経済的要因があるものと思われる。

しかし、就職難以上に脱北者が大邸を離れる最大の理由として挙げられるのは脱北者に対する大邱市民の「偏見」だ。

脱北者が語る大邸でのつらい経験

大邸在住10年のパク・チンソクさんは「北朝鮮訛りのせいで仲間はずれにされた経験が忘れられない」「脱北者だと言うとあからさまに見下される」などと大邸でのつらい経験を語った。

「『北朝鮮から来たんだからパルゲンイ(アカ)だろ?』と言われたことが心の傷になっている」とスパイ扱いされたことすらあるとパクさんは語った。

ユ・ミニさんは昨年9月、ハナ院(脱北者教育施設)から居住地として大邸が割り当てられた。言われるがままにやってきたものの半年足らずで大邸を去った。

ユさんは「大邸の人はよそ者を中々受け入れてくれない」「訛りで脱北者かどうか確認されるのが大きなストレスだった」と大邸での経験を語った。

現在、彼女は仁川(インチョン)の友人の家に身を寄せていて縫製工場で働いている。

「仕事はつらいが、仁川は外国人も多く脱北者だからと偏見の目で見られることもない」(ユさん)。

「生活はよくなったが幸せとは言えない」

咸鏡北道(ハムギョンブクト)穏城(オンソン)出身で、大邸在住6年のキム・イェリムさんは「死ぬ思いをしてようやく脱北してきたのに、大邸の人々の心の壁にぶつかって苦しい」と語る。

大邸にやって来たキムさんは食堂の店員、白菜の収穫、スルメの乾燥、メガネフレームの組み立てなどありとあらゆる職を転々としてきた。脱北者への偏見はキムさんを苦しめてきた。ある職場では外国人扱いされて安い賃金で働かされそうになった。面接で残業や最低賃金について質問しても露骨に無視された。

北朝鮮にいた頃に比べると、確かに生活はよくなったが「幸せとは言えない」とキムさんは語る。忙しい仕事の合間を縫って大邸の人たちに北朝鮮の実態を伝える証言者としても活動しているが、偏見はそう簡単には消えない。

大邸だけではない脱北者への偏見と差別

ここでは保守的で排他的とされる大邸の例を取り上げたが、脱北者に対する偏見の眼差しと差別は大邸だけに限ったことではない。

2006年1月の韓国国家人権委員会の脱北者約500人を対象にした調査によると、全体の67%が「職場で差別を受けたことがある」と回答。具体的には所得の差、正当な理由のない非正規雇用、昇進差別、職場内でのイジメなどが挙げられている。

「なぜ、同じ民族なのに差別するのか?」という疑問も浮かぶが、脱北者の立場は、日本における「日系ブラジル人」や「日系ペルー人」などの「内なる外国人」とある面似ていると言えよう。

彼らは日本の血を引いていると言っても全くの異文化で生まれ育った。日本の地で生まれ育った日本人とは行動様式も考え方も違う。また、高度な日本語を解する人も限られる上に、そもそも単純労働者として来日していることもあり、貧困層に組み込まれやすい。

南北朝鮮半島の人々が、いくら同じ民族と言っても分断されて70年が過ぎた。お互いの行き来がない上に体制も異なる。脱北者にとっても韓国人にとっても言葉の通じる外国人と同じようなものだ。

徐々に増えつつある脱北者や朝鮮族、そして外国系市民を韓国社会がどう扱い、どう受け入れるかは韓国より一歩遅れて多文化になりつつある日本にとっても示唆するところが多いのではなかろうか。

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