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しかし1972年7月、エジプト政府は確執を抱えていたソ連の軍事顧問団を撤収させる。そのためエジプト軍参謀総長であったシャーズィリーは、ソ連からの支援が縮小する中で強敵イスラエルとの戦争を準備しなければならなくなった。そこで浮上したのが、防空能力の問題である。

エジプトなどアラブ諸国は、第3次中東戦争でイスラエル空軍の先制攻撃を受けて制空権を失い、わずか6日で敗北してしまった。その経験から、イスラエル空軍をいかに抑えるかが重要課題となっていたのだ。

シャーズィリーによると、エジプト軍の地対空ミサイル大隊は1972年末までに、ソ連軍事顧問団の能力を補えるようになったという。しかしミグ21戦闘機75機を運用していた約100名のパイロットをソ連が引き上げてからは、その穴をどうしても埋められずにいた。

そんな最中、1973年3月1日から7日までの日程で康良煜(カン・リャンウク) 副主席を団長とする北朝鮮政府代表団がエジプトを訪問した。エジプト政府に対し、国連で北朝鮮を支持してくれるよう要請するためであった。

実戦経験を積むチャンス

シャーズィリーは、彼らに問題解決の途を求めた。3月6日のスエズ前線視察に同行した際、北朝鮮政府代表団に加わっていたひとりの人物に話を持ちかけたのだ。