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それほどムバラクは、金日成や北朝鮮の“良き友”であった。何しろムバラク統治下のエジプトは、金日成が1994年に死去するまで韓国と国交を結ばなかったほどだ。

北朝鮮にとって痛かったのは、ムバラクの下野だけではなかった。ムバラクの辞任が発表される前日、元エジプト軍参謀総長であり、現代アラブ社会で英雄視されているサアドッディーン・シャーズィリーが息を引き取った。ムバラクとシャーズィリーの関係は非常に悪いものだったのだが、ふたりは金日成や北朝鮮に特別な思い入れを持っていた点で共通していた。北朝鮮は2011年2月に、エジプトにおける最も良き理解者を2人も失ったのである。

では、ムバラクとシャーズィリーを北朝鮮と結び付けたものは何か。それは、第4次中東戦争(1973年)における北朝鮮空軍パイロットの参戦である。

イスラエル軍の「敗北感」

イスラエル側では「ヨム・キプール(贖罪日)戦争」、アラブ側では「10月戦争」と呼ばれている第4次中東戦争は、エジプトとシリアを中心としたアラブ諸国がイスラエルに先制攻撃を仕掛けたことで始まった。

1948年の建国宣言以来、断続的にアラブ諸国との戦争を行ってきたイスラエルにとって、「敗北感」を味わったのはこのときが初めてだった。