産経新聞2月11日付に掲載された連載コラム「曽野綾子の透明な歳月の光」の中で、作家の曽野綾子さんが、日本の労働人口が減少している問題をめぐって移民受け入れの必要性に言及。その上で、かつて南アフリカに滞在した経験から、「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」として、日本が移民を受け入れた場合にも、国民と外国人の居住区を分けた方が良いとも取れる見解を述べている。

これに対し、ツイッターなどSNS上では早くも批判的な意見が広がっている。

曽野さんはコラムで、「高齢者の介護のための人手を補充する労働移民」として、日本語の能力や衛生上の知識の有無に関わらず「日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たち」に来てもらうべきだとしながら、「同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない」と主張している。

それに続き、南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)時代に白人だけが住んでいた集合住宅に、黒人の大家族が住むようになったところ、水道の利用が不便になり白人が逃げ出した、とのエピソードを紹介。「人間は事業も運動も研究も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」との持論で締めくくっている。

曽野さんが、南アフリカでの人種ごとの居住地域の「住み分け」について言及するのは、これが初めてではない。1992年に産経新聞と読売新聞に寄せた論考の中でも、次のように述べている。

白人もカラードもアジア人も、生活程度はほぼ似たり寄ったりである。彼らにも当然収入の格差はあるが、いずれも、アッパー・ミドルの豊かな暮らしをしている。街路も整い、庭は花で溢れ、家は広くて清潔で快適である。金やダイヤモンドを牛耳っているような巨大資本の経営者は白人で、そういう人のお屋敷はまた別格であろう。しかしその程度の差はあっても、彼らはそれぞれの地区で十分に満ち足りた暮らしをしている。

 ここ数年、ヨハネスブルグの街の大きな変化は、治安が悪くなったので家に塀ができたことだ、と誰もが言う。塀の内側で大きな犬を飼い、保安会社に警備を委託していることを示す威嚇的なサイン・ボードを門の脇にはりつけているうちは、これらの三つの階層全部に見られる。

 ◆黒人地区の中の格差

 しかし黒人地区だけが、我々の考える人間の住処のレベル以下である。(中略)

 もっとも黒人地域にも黒人の「豪邸」がある。すぐ傍に掘っ建て小屋があっても、豪邸は豪邸として存在している。生活程度の格差は年々大きくなっているという。そして豪邸はスクワッター出身の泥棒の脅威にさらされている。南アの抗争の図式の中でも大きな部分を占めるのは、黒人と黒人との争いだと誰もが言う。(中略)

アパルトヘイトは制度としては、完全に取り払われた。昔、法的に白人に占められていた地区には、黒人がどっと流入して、町を歩いている人の十人に八人は黒人だという感じになっている。白人の住宅地に黒人が住むことも法的に可能である。しかしそんなことをしてみても、別に幸福になるとは、私には思えないのである。(以上、産経新聞1992年9月28日付)

白人も、カラードと呼ばれる混血(原住民のホッテントット、オランダの東インド会社が連れて来た東洋人の奴隷、黒人と白人移住者との間にできた子孫たち)も、そしてインド人たちも、南アではそれなりに、自分たちの居住区で豊かに暮らしている。貧富の差は、個人の才能や運や勤勉の度合いに比例するだけで、階級の間にはない。「私たちは日本人みたいに勤勉に働いて、差別と貧困の中でも熱心に子供たちを教育したものです」と豪邸に住むインド人医師の未亡人は胸を張る。

 唯一例外の黒人地区には、どの町にも貧しい掘っ建て小屋に住む人たちの居住区がある。共同水道。屋外のトイレ。アパルトヘイト廃止後も、彼らは極めて政治的である。彼らは自分たちの学校を自ら壊し、いまだに初等教育は満足に行われていない。「教育の前に自由だ!」と彼らは叫ぶ。そしてそれに反対する人がいると、リンチに近い報復が行われる。

 黒人問題を思う時だけ、私の胸に暗く重い南アが、かぶさってくるのを止めようがなかった。

 「どうしたら解決できますか?」

と私が聞くと、女性たちの解放のために働いているという白人の女性は答えた。「憶病をなくすことです。現実を見つめない、という憶病をなくすことね」(以上、読売新聞1992年10月6日付)

曽野さんの真意がどういったものであるにせよ、人種や国籍、あるいはその他の基準によって居住地域を制度的に定めることには、相互の反目や差別を助長したり、均衡のとれた社会の発展を阻害したりする危険性がある。

北朝鮮では、国家が出身成分によって国民を様々に区別し、居住や移動の自由を厳しく制限することで、民主的なコンセンサスが醸成されるのを阻んでいる側面がある。民主主義を目指す(あるいは守る)取組において、居住や移動の制限は撤廃の対象とはなっても、新たに組成すべき対象には成り得ない。

そもそも、集合住宅での居住人員数や水道の利用などについては、民間の賃貸借契約などに明記し、その順守を図れば済むことだ。

曽野さんの見解が社会にどのように受け止められるのか、今後のメディアの動向が注目される。

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