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それに続き、南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)時代に白人だけが住んでいた集合住宅に、黒人の大家族が住むようになったところ、水道の利用が不便になり白人が逃げ出した、とのエピソードを紹介。「人間は事業も運動も研究も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」との持論で締めくくっている。

曽野さんが、南アフリカでの人種ごとの居住地域の「住み分け」について言及するのは、これが初めてではない。1992年に産経新聞と読売新聞に寄せた論考の中でも、次のように述べている。

白人もカラードもアジア人も、生活程度はほぼ似たり寄ったりである。彼らにも当然収入の格差はあるが、いずれも、アッパー・ミドルの豊かな暮らしをしている。街路も整い、庭は花で溢れ、家は広くて清潔で快適である。金やダイヤモンドを牛耳っているような巨大資本の経営者は白人で、そういう人のお屋敷はまた別格であろう。しかしその程度の差はあっても、彼らはそれぞれの地区で十分に満ち足りた暮らしをしている。

 ここ数年、ヨハネスブルグの街の大きな変化は、治安が悪くなったので家に塀ができたことだ、と誰もが言う。塀の内側で大きな犬を飼い、保安会社に警備を委託していることを示す威嚇的なサイン・ボードを門の脇にはりつけているうちは、これらの三つの階層全部に見られる。