彼と初めて出会ったのは、2008年の初め頃に開かれた北朝鮮の人権関連イベントの会場だった。同い年だといって握手を求められ、ためらうことなく右手を差し出した。彼の右手の中指の第一関節から先は欠損していた。まさにそれが彼の生き様を表していた。

8割が大学に進学し、ホワイトカラーを目指す韓国の同世代とは全く異なる「つらい人生」が彼の手に刻まれていた。彼の名は申東赫(シン・ドンヒョク)。最近、自叙伝の一部に「間違い」があったことを認めた。

彼は脱北して後、国際社会に北朝鮮の人権実態を知らせる活動に注力した。国境の壁を超えた彼の活動は実に輝かしいものだった。ほとんどすべての脱北者が経験する韓国社会への適応という難題を克服し、自ら「北朝鮮の人権」の象徴的証言者となった。

北朝鮮内部の人権弾圧の証言と証拠に加え、彼の伝えた政治犯収容所のリアルな描写と証言は、独裁政権に対抗する国際世論の武器となった。また『14号収容所脱出』(日本では『収容所に生まれた僕は愛を知らない』のタイトルで出版)に綴られた体験談や国連と米議会での証言は、北朝鮮の人権の実態把握に多大なる貢献をした。

昨年11月、北朝鮮のプロパガンダサイト「わが民族同士」は彼の父親を登場させて彼の主張への反論攻勢を仕掛けた。申東赫の証言と北朝鮮政府のプロパガンダが激しくぶつかりあったのだ。

唯一の肉親に非難されて平気なはずがない。北朝鮮という体制の特殊性を理解すればするほど、彼の苦痛の重さがいかほどかを感じられるようになる。

北朝鮮の人権問題をめぐる不信の種「証言の間違い」

申東赫は自分の経験をもとにした「14号収容所脱出」に、いくつかの間違いがあることを認めた。彼は時間と場所を間違えていた。母と兄が処刑されたのは14号収容所ではなく18号収容所だった、彼が拷問されたのは13歳でなく20歳だった、ということなどだ。

いわゆる「証言の間違い」は、人権問題において深刻に取り扱われるべき問題だ。人の記憶は感情や主観、時間の経過により多少誇張されたり歪曲されることがある。アウシュビッツや、クメール・ルージュによる大虐殺でもこのような「証言の間違い」があった。

しかし、その間違いを根拠に残酷な人権弾圧そのものが否定、歪曲されるものではない。科学的な常識を尊重する文明社会は、悲劇の物質的証拠を確保しているからだ。

北朝鮮の政治犯収容所の物質的証拠の存在は、既に世界中の知るところとなっている。衛星写真は、政治犯収容所の詳細な場所を再確認してくれた。収容所出身の脱北者の絶対多数が伝える政治犯収容所の実態を、「口裏合わせ」で一致させることな不可能だ。

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