北朝鮮の無数の内部映像は、政治犯収容所と一般住民の空間の区別が不可能なほど、北朝鮮の人々の暮らしが破壊されていることを伝えている。物質的証拠は、我々の目によって既に確認されているのだ。
脱北者のこれからの課題は「記憶との闘い」
申東赫の証言内容の間違いは事実関係を争うものではなく、視点と空間の錯覚ないし検証を必要とする具体的記録についてのものだ。彼の家族が政治犯収容所で処刑された事実と彼が拷問を受けた事実の否定できない物質的証拠は、彼の体に残されている。
常識的証拠は、より複雑な理解のプロセスを必要とする。脱北者の「証言の間違い」は北朝鮮の人権問題に対する沈黙と不信を生む。絶対多数の脱北者が北朝鮮の政治犯収容所について認知しており、内部の実像を韓国に伝えている現状において、これはほぼ真実であるというコンセンサスが形成されるのは極めて常識的なことだ。
社会主義を装った独裁権力の下で人権弾圧が頻繁に行われているという見方は、正しいイデオロギー教育がもたらす基本常識だ。政治難民の記憶の歪曲、操作は不可能であることを見抜く力も、正しい教育をもとにした「常識」の領域だ。
我々の「常識」のレベルは、依然としてこれらの歴史の真実を見抜くには力不足のようだ。物質的証拠を捏造と決めつけ常識に基づいた基準を無視する。そういう人々にとって、脱北者たちの「証言の間違い」はケチを付けるにはもってこいだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面脱北者の証言は最も直接的な記憶の記録ではあるが、徹底した検証も行われるべきだ。申東赫のように苦痛を伴った家族の歴史を明らかにする形の証言には間違いがある可能性が存在するが、我々に求められるのはより幅の広い理解と寛容だ。脱北者に求められるのはより真実に近づけようとする「勇気」だ。
申東赫の証言がより胸を痛くするわけは、今後政治的に様々に変わる可能性が大きい、脱北者の立場と証言内容を代表する事例だからだ。北朝鮮の体制崩壊が進み凄惨な「犯罪」の現場に近づくほど、脱北者と北朝鮮の人々は「記憶との闘い」を、国際社会は既存の「常識」の枠を超えて人権意識と人類愛を高めなければならない。
北朝鮮の人権問題を政治問題化し、打算の中で「北朝鮮人権法」の制定をためらう韓国の政界。間違いがあったことを認めた申東赫の方がまともであることは、否定できない「常識」の領域だ。
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