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同紙によると、申氏は「14才号管理所で、収容所を脱出しようとしていた母と兄を密告し、その後二人は公開処刑された」としているが、申氏がいたのは「完全統制区域」の14号収容所ではなく「18号収容所」だという。彼は今まで14号収容所で生まれ、2005年に脱北するまでそこに住んでいたと語っていた。

また、拷問を受けたのは、13歳のときではなく、20歳のときだったという。

申氏は18日、自身のフェイスブックで「私は政治犯収容所を撤廃して(北朝鮮の)抑圧されている人々に正義をもたらすための努力と事業を続けるかもしれないし、続けないかもしれない」とし、北朝鮮の人権運動を取りやめる可能性があることを示唆した。

また、申氏は「私がいなくても皆さんはまだ戦うことができる」「世界は(北朝鮮で起こっている)悲惨で言葉にできない恐怖を知る必要がある」と強調した。