金正恩体制が、「人道に対する罪」で裁かれようとしている。

「人道に対する罪」について、辞書は次のように説明している。「戦前または戦時中一切の一般人民に対して為された殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放その他の非人道的行為,または政治的,人種的もしくは宗教的理由に基づく迫害行為」(コトバンク)。

これ以上ないほどの恐ろしい罪だ。連想される名前はアドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、ポル・ポトあたりだろうか。記憶に新しいところではスロボダン・ミロシェビッチ。いずれの人物も、「残酷な独裁者」と名高い。

現在進行形の「殺りく」

そしてここに、金正恩氏の名前が加えられようとしている。歴史に残る独裁者として、彼は世界史の1ページに深く刻み込まれようとしている。弱冠33歳の彼は、いつの間にこれほどの罪を犯したのか。

実際のところ、彼が問われている罪のほとんどは彼の祖父(金日成)、そしてちょうど3年前に死んだ父親(金正日)によって重ねられたものだ。政敵を血の粛清で葬り去ることによって君臨した金日成。核危機や経済問題を瀬戸際外交と先軍政治で乗り切った金正日。

2人は70年にわたって「北朝鮮独裁体制」を築き上げてきた。その歩みのなかで生み出された矛盾は「人権侵害」として北朝鮮国民の生命を脅かした。

いまだ8〜12万人が収容されている「政治犯収容所」。90年代中頃から300万人の大量餓死を生み出した「苦難の行軍」。体制を維持するために、自国民の人権を侵害してきた。

この「人権侵害」こそ、正恩氏に残された「負の遺産」そのものだ。正恩氏も、とんでもないものを押し付けられたものである。

とはいえ、もはや正恩氏にも罪なしとは言えない。彼は国際社会からの追及に、弁明のためのウソを重ねている。その陰で、重大な人権蹂躙(まず間違いなく殺戮も)が現在進行形で重ねられているからだ。

正恩氏は「ヒトラー」になる

それを見透かされながらも、正恩氏はなお弁明に必死だ。

国連で北朝鮮が追い詰められる上で重要な役割を果たした、申東赫(シン・ドンヒョク)という脱北者がいる。生き地獄のような政治犯収容所を脱出したという彼の証言の信用を貶めるべく、北朝鮮当局は彼の実父をビデオに出演させ、息子を犯罪者呼ばわりさせた。なかなかに凝った内容だが、そのうち制作陣の誰か(あるいはその関係者)が脱北して真相をぶちまけるだろうから、「やらせ」であることは遅かれ早かれバレる。

それを薄々知りつつも、北朝鮮は黙っていられない。それだけ、いまを乗り切ることに必死なのだ。最高尊厳(金正恩氏)を冒涜されたからには、黙っていられるはずはないのだ。

最近、正恩氏の側近である崔龍海(チェ・リョンヘ)がプーチン大統領と会ったのも同じ文脈からだろう。ウクライナ問題で孤立するロシアにすりより、国連安保理で拒否権を行使してもらおうという魂胆なのは明白だ。

「ババ」を引いた3代目

正恩氏がここまで必死になるのは、「人道に対する罪」が、北朝鮮の体制が望んできたものすべてをぶち壊しにするからだ。核とミサイルを材料にいくら取引を試みても、まともな国(そして企業)は“ヒトラー”と商売などしない。

たとえ豊富な地下資源と勤勉な労働力があろうと、たとえ観光地としての可能性をアピールしようと、その裏に「人道に対する罪」が存在する限り、「反人道的国家」との商売は躊躇される。これまで自ら望んで鎖国体制を敷いてきた北朝鮮は、国を開きたくとも開けない闇の中に封じ込められてしまうのだ。

正恩氏が「人道に対する罪」から逃れるために、やるべきことはひとつしかない。いますぐ政治犯収容所を閉鎖して、すべての罪を祖父と父になすりつけ、断罪するのだ。

しかしそこでまた、難題にぶち当たる。祖父と父の権威に頼らずに、彼に何ができるのかという問題だ。もしかすると正恩氏は、「こんなはずではなかった」と後悔しているかもしれない。祖父と父は、指導者としてのレールを敷いてくれたはずだった。ところが、その功績がいまや両刃の剣だ。

正恩氏はトランプの「ババ」を引かされたのだ。

祖父も父も、独裁者として最期を迎え、「王の間」で天寿をまっとうできた。しかし正恩氏にはおそらく、これからも数十年もの人生が残されている。

「人道に対する罪」を背負いながら独裁者としてその年月を過ごす術を、彼が見つけられるとはとうてい思えない。

結局のところ、金正恩体制は、祖父と父から押し付けられた「負の遺産」とともに、破滅するしかないのではないか。

高英起(コウ・ヨンギ)

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1966年、大阪生まれの在日コリアン2世。北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。北朝鮮問題を中心にフリージャーナリストとして週刊誌などで取材活動を続けながら、テレビやラジオのコメンテーターも務める。主な著作に 『脱北者が明かす北朝鮮』 『北朝鮮ポップスの世界』 (共著) 、 『金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔』 『コチェビよ、脱北の河を渡れ ―中朝国境滞在記―』 など。

脱北者が明かす北朝鮮 (別冊宝島 2516) 北朝鮮ポップスの世界 金正恩 核を持つお坊ちゃまくん、その素顔 (宝島社新書) コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記