人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面

選手たちは政治犯収容所などの炭鉱や鉱山に追放され、サッカーチームは解散した。政治犯収容所出身の姜哲煥氏も北送した在日同胞の手紙を伝えてスパイの容疑を受けて耀徳収容所に連れて来られたサッカー代表選手、パク・スンジン選手のことを証言している。

パク・ドゥイクも例外ではなかった。脱北者らによれば、彼も両江道ポチョン郡デピョン労働者区で、山林労働者としておよそ10年間働いたという。その後、1990年代初めに金正日の指示に従って両江道の体育指導委員会の指導員(監督)として服務したという。

パク氏はその後再び上京し、国家総合チームの指導員と、イ・ミョンス体育団のサッカー指導員、5・1競技場の支配人を歴任したと言われている。

一方、北朝鮮オリンピック委員会のコ・チョルホ書記局執行書記は、聖火ランナーの選抜に係わり、「北京オリンピック組織委員会が制定した基準に従い、500人余りの志願者から申請を受けた。国家の繁栄と建設に貢献した公務員や労働者、農民、体育分野の従事者で、国内外の主な大会で優秀な成績をおさめた有名選手と指導者などを聖火の走者に選抜した」と説明した。