林秀卿は北朝鮮に入国する時、灰色の短い半袖にベルトなしの青いジーパンという身なりだった。到着30分後にホテルの2階の接見室で公式記者会見を持った。当時筆者の感懐は特別で、記者会見場を思い浮かべてあの時の記憶を整理してみる。

筆者はアメリカから来た「同胞記者」と一緒に会見場に入場した。記者会見をビデオで撮影しながら、林秀卿に鋭い質問も出た。

(当時筆者が撮影したビデオの録画を修正せずに記載する)

筆者がまず質問した。「外信によれば韓国政府が全大協の北朝鮮訪問や海外旅行を基本的に遮断したというが、どうやって空港を利用して出国することができたのか。そして、どこを経由して誰の助けで平壌まで無事に到着したのですか」

林秀卿がさっそうと答えた。「韓国政府が水も漏らさぬほど厳重に出国阻止をしたと言いましたが、出国するのに大きな困難はなかったんです。日本の東京に行って数日間随分悩みました。しかし、決心して去った道を勇ましく進もうと、東ベルリンを経由して飛行機で今日到着しました」

“私は大韓民国を愛しています”

引き続き朝鮮中央放送の番になった。“国家保安法と係わって困難があったでしょうに、これについておっしゃってください”

「私は当然、国家保安法違反に問われます。国家保安法というのは奇怪な法律です。私がここへ来たのに対する法的な問題は第一に、敵地への脱出。第二に、皆さんに会ったから利敵団体との面会。ここで労働新聞を見たから印刷物判読罪」

「また韓国に帰れば外地(敵地)への潜入罪(ここで記者たちの笑いが一斉に吹き出した)。私は帰れば当然拘束されます。

「祖国は一つだが私の生まれた所が大韓民国で私は大韓民国を愛しています。ですから私は祝典が終わったら両親のもとに帰ります」

彼女の演説のような回答が続いた。「私たちは平壌に行っても政治的な行事には参加しない。それでもこの祝典に参加することを阻むため、統一院の長官もそれ位なら参加しても良いと言ったけれども、政府と民政党と盧泰愚は反対し、反対をするということは、彼らがどれくらい反統一的かということが分かったんです」

「私たちは北朝鮮を本当に正しく理解し、歴史的な7・4共同声明で自主・平和・民族大団結という全国統一の3大綱領をいつも基本に念頭に置いて、思想と理念と制度は違うものの、これを超越して南と北は一つにならなければならないと考えます」

そして彼女は「祖国は一つだ!」と叫んだ。

誰かが質問をした。南側の学生の統一の念願に対して語ってほしいと言った。

「全大協の学生は熱いアスファルトの上に横になって、板門店で南北の学生が会って統一に対する討論をしようと、毎日のように叫んだが、盧泰愚政府は8,000人余りにもなる多くの学生たちを検挙し、延世大学に約2万人余りが集まったが、大量検挙がなかったら、もっと多くの学生たちが集まったはずです」

「私たちは政府と一生懸命戦っている、平壌はどのように戦っているか」

更に「南北の学生が熱い統一を念願し、会ったら必ず統一は来ると確信します(省略)。私たちは政府と熱心に戦っています。平壌の学生はどのように戦うかは分かりませんが、南北朝鮮の学生を統合したら、自主的平和統一は実現すると思います」

林秀卿を歓迎する人波が道を阻み、どれほど手を握ったのか、手首と手の甲に傷がひどくできた。彼女は歓迎の群衆の間をやっとすり抜けて来て、包帯に巻いた手を思いきり振った。

林秀卿は韓国でこの言葉はすなわち容共で、検挙の対象になるが、北の人民はこんなにたくさん集まって熱狂というよりも狂的に叫びながら歓迎する姿に非常に感動したようだった。

「このように北の同胞の統一に対する熱望が高いとは、本当に知らなかった。韓国国民は全て統一を望んでいるのに、願っていないのは現政府と米軍だけでしょう。今盧泰愚政権は統一という言葉だけでも発狂するでしょう」と語った。

会見の初めに大韓民国を愛して大韓民国に帰ると力をこめて言う時、それでも韓国の大学生の自尊心を守っている利口な女学生だと称賛したい感動があったが、盧泰愚一味だ何だと言った時、私は大きな失望を感じた。

“平壌の太陽は林秀卿に昇り、林秀卿に沈む”

引き続き、朝鮮総連関係の記者が、日本に帰って総連の学生たちに見せてあげたいというサインの要求をし、「朝鮮は一つだ」という文を書き残した。

林秀卿は全大協の進軍歌を歌いながら会見を終えた。

林秀卿が統一方案について北朝鮮の学生と話して、共同で行ったらすぐにでも統一するかのように雰囲気が高まった。

林秀卿は群衆の前でも上手に韓国の大学生の堂々とした姿を遺憾無く見せてくれた。平壌の太陽は林秀卿という韓国の学生の話題に昇っては沈んだ。

その後、平壌中央テレビで、一週間の間ずっとインタビュー場面が放映されたが、私の姿が大きくそして詳細に放映されて、ホテルの商店や食堂で、人々は私がアメリカから来た新聞記者だとしばらく思っており、あいさつを受けたりと忙しかった。

89年7月1日、5・1競技場は午後3時から一般の観客が入場をして、林秀卿は一人で全大協の旗を振りながら15万の割れんばかりの歓声と拍手を浴びて入場した。主席団の前ではしばらく金日成にあいさつし、足取りも堂々と運動場を回った。まるで今回の行事の主演は林秀卿であるかのように興奮した雰囲気だった。

結果的に韓国のソウルオリンピックは北朝鮮の青年学生祝典を刺激した。しかし、これは北朝鮮を更なる貧窮の中に突き落とした。この学生祝典のために、北朝鮮はおびただしい経済的打撃を受けた。

この日、新しい通りである光復通りでは、日本の新潟港を出航した万景峰号に、様々な品物を積んで平壌に到着した朝鮮総連の数百人が、屋台でいろいろな食べ物市場を準備し、売り出して、光復通りに新しく建てられたマンションは、遠い国から来た人々にあてがった。平壌は一晩中食べて踊りながら、暮し向きがよくなったかのように夜をあかした。

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