北朝鮮当局が3代世襲の正当性確保のため制作した記録映画、「先軍朝鮮の偉大なる母」の主人公である高ヨンヒは日本から北朝鮮に渡った、いわゆる在日朝鮮人帰国者である。

彼女は、1952年6月26日、日本の大阪で出生した。出生時の名は「高姫勲(コ・ヒフン)」で、「高田姫」という日本名も持っていた。北朝鮮に移住後、「高ヨンジャ」と改名したが、名前に「子」の文字を使用することを禁じた北朝鮮当局の政策により、最終的に「高ヨンヒ」に落ち着いたとされる。

彼女の父親は日本の植民地時代、日本陸軍直轄の広田裁縫所に勤務していたコ・ギョンテクという人物で、韓国と日本を往来する密航船舶を運営していたことが発覚し、1962年、高英姫を連れ北朝鮮に渡った。

万寿台芸術団所属の踊り子だった高ヨンヒは、1970年代「喜び組」として活動中、金正日の目に付く。乳がんで死亡する2004年まで金正日と同居し、正哲、正恩、ヨジョンなど2男1女を産んだ。

記録映画「偉大なる先軍朝鮮の母」を通し、遅くとも高英姫は1998年から金正日と軍部隊などへの現地視察に同行し始めたことが分かる。

高ヨンヒは金正日の命を救ったため絶対的な信任を得てきたとされている。13年間金正日の専属料理人だった藤本健二氏の証言によれば、1980年代後半、咸興(72号)招待所で夕食を終えた金正日は1人散歩をしていた最中、警護副官がこっそり飲酒しているのを発見し厳しく叱責した。

当時、泥酔状態だった副官は金正日と分からず彼に銃を向けた。その時、その光景を目撃し副官を押さえとめたのが高ヨンヒだった。それ以降、金正日は高英姫に対し「お前のお陰で死なずにすんだ」と時折感謝を表したという。高ヨンヒはグリップの重さが35gにしか満たない軽量銃を所持することが許可されていたと藤本氏は証言する。

金日成死亡直後、拳銃を前に思い悩む金正日を見て「何を考えているのですか」と怒鳴り、拳銃を片付けたという逸話もある。

藤本氏は高英姫について、忍耐心が強く、他人への思いやりがあり、料理の腕前も最高の北朝鮮一の良妻賢母だったと評価する。 金正日が食べるナマズスープなどは高ヨンヒが自ら調理したという。記録映画でも高ヨンヒが北朝鮮軍の調理兵に「ジャガイモドーナツレシピ」を伝授したとの内容が登場する。

金正日は、高ヨンヒが乳がんで闘病生活をする当時、彼女に対する切ない愛情を見せた。高英姫が癌手術のためフランスに向け出国した1993年頃、金正日は入院中の高英姫から手紙を受け取っては、悲しげに涙を流したという。高英姫が病気になる前は金正日は時折宴会の場で、愛唱歌「あの時あの人」を高英姫と一緒に歌うなど愛情を誇示したりもした。

 

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