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朝鮮人クラスメートは大ぴらに胸を張って朝鮮語をしゃべりはじめた。この人たちはこの日、大極旗をもって、解放のよろこびの旗行列に参加したそうである。帰宅の途中の光景は、強烈な印象となって残っている。敦岩町、黄金町通り、東大門付近、電車の中から見る街は、白一色にあふれていた。戦時中、白い衣服は、上空から見つかりやすいからと、一切禁じられていた人々が、この解放の日に備えていたかの如く、老人も少女も、男も女も、白の朝鮮服を着てくりだしているのである。時折マンセイの声もきこえる。日本は敗れたのである。

これは、京城女子医学専門学校に通っていた阿蘇美保子氏が記した、1945年8月15日の京城(現在のソウル)の様子だ(広瀬玲子著、帝国に生きた少女たちより引用)。植民地支配や差別について深く考えることがなかった10代の日本人少女たちが、敗戦で立場が逆転したことをきっかけに、混乱に陥っていく様が綴られている。

連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは同年9月7日、北緯38度線以南の地域で米軍による軍政を敷くことを発表。米軍はその翌日、仁川に上陸し、日本軍の武装解除に乗り出した。

一方の38度線以北では、ソ連軍が8月8日から侵攻を開始し、24日に咸興(ハムン)、25日には平壌に到着し、日本軍を降伏させ、軍政を敷いた。

その後の10月14日、平壌公設運動場では市民歓迎大会が開かれた。ソ連軍の将校らと舞台上に上がったのは金成柱(キム・ソンジュ)、つまり朝鮮民主主義人民共和国を建国し、首席となる金日成氏だった。抗日パルチザンの伝説の将軍とされた金日成が30代の若者だったことで、その場にいた人には動揺が広がったと伝えられる。

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金日成氏と同じ村の出身である、韓国の延世大学校哲学科の金亨錫(キム・ヒョンソク)名誉教授は、英国BBCとのインタビューに次のように答えている。

「金日成将軍歓迎式が平壌公設運動場であると言うので、友だちが行ってみたところ、『金日成ではなくうちの村の成柱だ』というのです。おかしいと思って近づいてみたが『間違いなく成柱だ』と。一般市民は疑いました。金日成といえば50代の壮年で、戦場での経験もある人のはずなのに、30代の若者が現れたものだから『嘘だ』(との声が上がった)」

一方、1980年代に制作された北朝鮮映画「わが国」は、青年シン・チョルギュンの目を通して、「金日成氏がどれほど偉大で、どれほど尊敬を集めていたか」を描いている。そして最近、映画の舞台となった新義州(シニジュ)では、当局の指示で、この映画の団体鑑賞が行われた。米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

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平安北道(ピョンアンブクト)の情報筋は、朝鮮労働党平安北道委員会(道党)の指示で、13日にすべての工場、企業所、住民を対象にした映画学習が開かれ、新義州市内の各映画館では午前9時から午後6時まで、一斉に「わが国」が上映されたと伝えた。

例年の8月15日なら、この手のプロパガンダ映画は、朝鮮中央テレビで放映されるものだったが、今年に限ってはそれのみならず、映画を直接見に行くように指示が下されたのだ。それには、北朝鮮の劣悪な電力事情が関係している。

慢性的な電力難に苦しめられている北朝鮮だが、特別な日に限っては、テレビが見られるように電力を供給していた。しかし、もはやその余力もないようで、そのために映画鑑賞会が開かれたようだ。

(参考記事:「金正恩ニュース」の時間帯に停電、発電所員ら絶体絶命

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しかし、プロパガンダ臭のプンプンする古臭い映画を強制的に鑑賞させられた市民からは強い不満の声が上がったと、別の情報筋は伝えた。

「セリフの中に『真のわが国とはどこか』という主人公の問い、金日成氏が『わが国とは人民が主人であるこの地、北朝鮮だ』と答えるものがあるが、それを聞いた一部観客からは失笑が漏れた」(情報筋)

金氏一家に対する不敬は、重大な政治犯罪に当たる。そんなことは十二分にわかっているはずの人々ですら、笑ってしまうほど陳腐なストーリーだということだろう。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋は、清津(チョンジン)市の新岩(シナム)区域の各映画館でも上映会が開かれたが、ある映画館では1000席のうち200席も埋まっていなかったと伝えた。勤労動員はなかなかサボるのが難しいが、映画鑑賞会は作業ノルマがないため「体調が悪い」「用事がある」などと言えば、比較的楽にサボれたようだ。また、上映会にやってきた人のほとんどが居眠りしていたという。

情報筋は、映画を見た人の感想を伝えている。

「食糧不足で栄養失調にかかった人民が『わが国万歳』と叫べるのか」
「わが国でなくてもいいから、飢えのないところならどこでもいい」

(参考記事:「あくび」と「私語」であふれかえる、北朝鮮の「復讐決議大会」

北朝鮮の多くの人々が望むことは、非常にシンプルだ。一銭の儲けにもならない勤労動員や政治集会などに時間を奪われず、自由に商売ができて、衣食住と娯楽が充実した平穏な暮らしだ。

植民地支配の解放から78年、建国からまもなく75年を迎えるが、そんな暮らしは未だに実現していない。

(参考記事:国家がどう頑張っても押し戻せない北朝鮮の「市場経済化」