父・金日成の権力を事実上奪い、自身の権力まで息子・金正恩に譲り渡した金正日は、独裁権力を維持するために無慈悲な人権侵害と反人論的な犯罪を躊躇なく繰り返した。

ルーマニアのニコラエ・チャウセスク、イラクのサダム・フセイン、リビアのカダフィなどの独裁者らが自国民らによって悲惨な最後を迎えたのとは異なり、金正日は心臓マヒという比較的安らかな理由で死亡したのは徹底した統制・抑圧政策の産物だともいえる。

金正日は執権期間中、全体主義的な独裁体制と唯一支配体制を維持するために北朝鮮住民らの犠牲を強要した。国家安全保衛部と人民保安部など公安機関の徹底的な監視・統制の中で、北朝鮮住民は自身の意志とは無関係に独裁権力の道具として生きた。金正日時代の北朝鮮社会全体は、文字通り巨大な監獄となった。

北朝鮮人権侵害の代名詞「政治犯収容所」

北朝鮮人権弾圧の象徴は特別独裁対象区域と称される政治犯収容所だ。収監者らは日常的な飢餓と過酷な暴力、そして耐えることのない公開処刑など反人間的な状況に置かれている。

収容所の劣悪な環境と暴力に耐えられず脱北しようとして逮捕された者や、保衛部員に反抗したり殴ったりした者は、収容者らが見守る中で絞首刑に処されたり銃殺されることで知られている。

収監者らは「首領の肖像画を破損した」「キリスト教を信じた」「体制を誹謗した」などの理由で、まともな裁判を一度も受けられないまま収容所に連れて行かれた。連座制を適用し、その家族までも一緒に収監される場合も数多く存在した。北朝鮮は11カ所の収容所を運営していたが、国際社会の非難世論が高まると6カ所に統廃合した。収容所出身の脱北者の証言によると、現在の収監者は15万人に達する。

初期の政治犯収容所は金日成が権力を把握する過程で政敵を粛清する目的で活用されたが、1973年に金正日の後継枢軸を構築するために三大革命小組運動が始まると共に規模が急速度に大きくなり始めた。

住民を思想奴隷に転落させた「10大原則」

また、金正日は住民を思想的奴隷に転落させた。金正日は1970年代に叔父の金英柱(キム・ヨンジュ)との後継者競争の過程で、金日成の歓心を買うために「党唯一思想体系」を確立するという名目で金日成の個人崇拝キャンペーンを直接主導した。

続いて1974年4月には、「党の唯一思想体系10大原則」(以下、10大原則)を公表しながら金日成の唯一独裁を理論的に完成し、ここに「党の唯一的指導体制」という理論を添えて「金日成の思想に基づく金正日の領土」という権力国「を作り出した。

住民を統制・掌握するための道具となった「10大原則」は社会主義憲法を超越した唯一の規範であり、生活規範である。北朝鮮では国家の全ての政策立案と個人の公的・私的活動、更には個人の考えまでも10大原則の支配を受ける。

10大原則は個人の意識を麻痺させ、体制への無批判的な忠誠を誘導すると同時に住民らを首領独裁の道具に転落させた。これは金正日の最も悪辣な人権侵害行為のうちの一つだ。

死の谷に追いやられる「強制北送」

最近は送還された脱北者らに対する処罰が過去に比べかなり緩和されたというが、これは金正日の善意による変化というよりは強制処罰を行うには脱北者の数があまりにも増加した影響のためだ。

脱北者らが中国公安に逮捕されて強制北送された場合、民族反逆者として追いやられ厳しい拷問と殴打に苦しめられる。その後2年以下の労働鍛錬刑、又は3年以下の労働教化刑を受ける。韓国人や宗教に接したことが発覚すれば、政治収容所に連行されたりもする。

また、脱北者らは第3国である中国に滞在する間、人身売買によって中国人男性との結婚を選択するしかなく、この過程で性売買などにさらされる。脱北女性らが生んだ子供は無国籍者として分類され、北朝鮮と中国の両方からまともな保護を受けるころができない。このように量産された中国の無国籍の子供たちは少なくは3000人から多くは1万人に達すると推定されている。

また、金正日は住民に恐怖心を誘発するために公開処刑を意のままに行使してきた。統一研究院が発刊した「北朝鮮人権白書2011」によると、今年1年の公開処刑回数は2010年に比べ約3倍増加した。

また、北朝鮮は海外に相当数の労働者を派遣し、外貨稼ぎ事業を展開している。ロシアのシベリア労働者だけではなく、モンゴル、東ヨーロッパ及び中東地域に派遣された北朝鮮労働者たちは劣悪な環境と過酷な労働に苦しみながら監視と統制の中で暮らしている。

脱北者によれば、中東地域だけでも5カ所の企業所に8千人余りの労働者が派遣されていると知られており、正確な数の把握は容易ではない。彼らが稼いだ外貨は「忠誠資金」として金正日の秘資金として使われる。

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