北朝鮮国営の朝鮮中央テレビは昨年12月27日、「都会の娘が嫁に来る」というタイトルのドキュメンタリー番組を放映した。
その内容は、1990年にリリースされた同名の歌と、1993年に公開された同名映画のバックグラウンドヒストリーを探るというものだ。
歌と映画はいずれも、とかく評判の悪い農村のイメージ改善を図るプロパガンダが制作の目的だった。そこに、なぜ30年経った今、改めて焦点を当てられているのか。
(参考記事:山に消えた女囚…北朝鮮「陸の孤島」で起きた鬼畜行為)
咸鏡南道(ハムギョンナムド)のデイリーNK内部情報筋は、今月5日に咸興(ハムン)市内の工場、企業所で「青年たちは農村革命の先駆者になろう」というタイトルの講演会が開かれたと伝えた。その場では、「20代女性は農村に対する古臭い先入観から抜け出さなければならない」と強調された。そして、16日の光明星節(金正日総書記の生誕記念日)以降に、女性が中心となって「農村に行きたいと嘆願する請願書を作成しなければならない」とダメ押しした。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面その背景として情報筋は、若い女性の間に「嘆願」への強い拒否感があるという。「農村に嫁ぐくらいなら死んだほうがマシ」と言われるほどだ。また、ボーイフレンドや婚約者、夫が農村に行かされることになれば、さっさと縁を切ってしまうという。
(参考記事:「自発的農村行き」を強制し若者からそっぽを向かれる北朝鮮)当局の宣伝のターゲットが女性になっていることについては、今までの嘆願事業が男性がメインになっており、逃げ出したりすることのないように、現地で所帯を持たせ、男性と女性の割合を合わせようとの目論見があるのかもしれない。
(参考記事:各地でトラブル続発、北朝鮮の農村「嘆願」事業)それにしても、なぜここまで農村が嫌われるのか。それは、北朝鮮において単なる「引っ越し」では片付けられない重い意味を持っているからだ。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面まず、北朝鮮には「都市戸籍」と「農村戸籍」が存在し、自由な移動は許されていない。都会で生まれたら都会で、農村や炭鉱の村で生まれたらそこで学業、就職、結婚と一生を送ることになっている。軍隊や大学進学など特別な理由がなければ、そこから出ることはない。農村は、単に都市部と地理的に隔絶されているだけでなく、政治的な意味でも「陸の孤島」なのだ。
しかし農村や炭鉱といえば、革命化(再教育)で送られる先――言い換えると流刑地であり、インフラも整っておらず、死ぬまで貧しい暮らしを強いられるのが現実だ。いくら当局が宣伝したところで、そんなところに自ら進んで行こうとする者などほとんどいない。名目は「嘆願」でも、事実上の強制移住政策を取るしかないのだ。
一度農村に行かされた人も、カネやコネをフル動員し、あるいはすきを見ては逃げ出そうとしている。根本的な解決策は、歌や映画で謳われたような、生活レベルの高さを実現するしかないだろう。
(参考記事:毎年凶作の北朝鮮農業、何が問題なのか?)