最近、北朝鮮にポルノビデオが沢山流入しているという。そうしたCD1枚を1時間借りて見るのに2000~3000ウォンだという。

中学生の子供達も、互いにお金を出しあってこうしたCDを回し見して、自慢もしてはばかりなく話しているそうだ。

私にはポルノのせいで、一緒に中国まで脱北した友達と別れた、胸が痛む思い出がある。氷ったご飯の塊をちぎって食べながら、友達のシン・ヨニルと一緒に中国に入ったのは2003年12月のことだった。

そこまで目標を決めて行ったわけではなかった。寒い冬に住む所がなかった私たちは、仕事をくれるという人に小さな農村で会った。

主人は村から5里ほど離れた山幕に私たちを案内した。そこで私たちは薪を割る仕事をした。主人という人は5日に1度ずつ車に乗って来て、木を運んだ。その度に米とおかずを少しずつ持って来てくれた。

幹部たちの「遊びの相手」

私たちの唯一の希望は小型ラジオだった。電気もない山幕で、一晩中ラジオで韓国の放送を聞き、いつかは必ず韓国に行こうという希望を抱いた。

夜遅くまで家族たちの話をする時、ヨニルの目にはいつも涙がたまっていた。父を失ったヨニルは母と妹と一緒に暮らしていた。

彼の妹ヨンシムは本当にかわいかった。力の無い家のためヨニルは集団動員や突撃隊(大規模な建設がある時に人々を動員した集団)などがあればいつも出かけていた。

ヨンシムも’6.18突撃隊’という所に行ったが、顔がきれいだったので、そこで統計員に選ばれた。1日の生産の実績を調査して報告する統計員の仕事は誰にでも与えられるものではなかった。

突撃隊で唯一化粧をしている統計員たちは、大隊長や政治指導員のおおっぴらな遊びの相手だった。それを知りながらも、つらい労働から逃げ出すために女性たちは誰もが統計員の仕事を望んでいた。

2年後、突撃隊の生活を終わらせて家に帰って来たヨンシムは、軍を除隊した男性と結婚し、仲の良い夫婦生活を続けていた。

テレビに「興奮」

そうしたある日、夫がどこで何のうわさを聞いたのか、ヨンシムの突撃隊での生活のことをつかんできて、家でひどいけんかが起こった。夫は暴力を振るい、結局離婚することになった。

ヨンシムはお腹の中の子供を下ろすために手術を受けて、結局命をおとした。衝撃を受けたヨニルの母も、数ヶ月後に病気で亡くなってしまった。

ヨニルはこれをきっかけに、北朝鮮社会を脱出することを決めた。妹と母の死で、彼は’北朝鮮の幹部たち’を非常に嫌っていた。

私たちが山奥で過ごしはじめて1ヶ月過ぎた旧暦の正月。木を積みに来た主人が私たちに、旧暦の正月は自分の家で過ごそうと言い、私たちは車に乗った。山奥に隠れて動物のような生活をしていた私たちにとっては、夢のようなことだった。

「セックス映画を見たか?」

主人は大きな家で一人で生活していた。妻は香港にお金を稼ぎに行っており、娘は延吉で勉強していると言った。何よりも私たちを興奮させたのは、家にあった韓国の衛星テレビだった。その時、私たちは初めてテレビを通じて韓国を見た。

夕方になり、みなが酒に酔った時、主人が急に私たちに聞いた。

“君たち、セックス映画を見たことがあるか”

ヨニルははっと驚いて、’そんなものは見ない’と答えた。だが、好奇心が生じた私は一度見ようと主人に言った。

主人は韓国のアダルト映画チャンネルをつけた。私たちをあきれさせたのは、アダルト映画をこっそりとビデオで見るのではなく、公開されたテレビ放送を通じて見られるということだった。当時、私たちはこのような放送は、大人の承認を受けたら視聴できるということを知らなかった。南朝鮮ではテレビさえつければ、誰でも成人放送を自由に見られると思っていた。

「南は腐っている」

初めてそんなものを見たので、私も荒てた。ヨニルは黙々と強いお酒を続けざまに飲んでいた。主人は友達の電話に出ると、私たちだけを家に残して行ってしまった。私たち2人だけ残ると、ヨニルは重い口を割った。

“キョンミン、今から家に帰るよ”

私には青天の霹靂のような言葉だった。

“南朝鮮という所は、あのように腐った所だったんだな。北朝鮮で聞いた言葉は嘘ではなかった”

彼は泣き声になっていた。

“あんな所に行こうと思った自分が愚かだった”

妹のことで胸に大きな傷を受けたヨニルは、なだめる私を残して結局その晩そこを去った。吹雪の夜道を泣きながら去って行ったヨニルの姿が、今も目に浮かんでくる。妹の死がどれだけ辛かったら、あれだけ憎んだ土地に再び帰る決心をするようになるだろうか。彼の心情を今も理解する。

「現実は違っていた」

私はあの時、どうしてそんな映画を見ようとしたのだろうか。今もその日のことを思い出すと、言葉にできない後悔と苦しさが私の胸を痛める。すまない…。今はどこで暮らしているのか…。会いたい。

当時は私も説明することができなかったが、また会えたらお前に言ってあげたい。

大韓民国はあの時お前と一緒に見た、そんな世の中ではない。私たちが知らなかったのだ。それはとてもささいなことに過ぎなかったのだと…。

(パク・キョンミン=仮名、33歳、2003年脱北)

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