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“北朝鮮の女性は、衣食住が満たされ、気立ての良い男性に会うことさえできれば、2、3回性売買されたとしても、北朝鮮を逃げ出す方がずっとましだろう”

私が女性学を勉強する韓国の友達に言った言葉だ。

“何で? 性売買にあう方が飢え死によりもましなの? 話にならないわ!”

彼女は私の言葉を聞いて即席に叫んだ。全く予測ができなかった反論だったから、これを再確認したかった。翌日、ある科目の受講の時間に機会を見て、この主題についてまた話した。彼女の反応は前日と同じだった。

“話にならないわ!”
“まったく、とんでもない!”

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もちろん、飢餓とは何なのかについての私の涙まじりの糾弾が続き、一緒に講義を受けていた受講生全員が私の熱弁に共感してくれたが、私はその後、飢餓と性売買に関する問題を深く考えざるを得なくなった。

性売買とは何か。 骨も乾かすような飢えで死ぬほど苦しみ、息をひきとるようになるのにもかかわらず、排斥しなければならないのだろうか。

私は以前もそうだし、今も周囲の韓国の人たちから、‘北朝鮮は人々が飢え死にするといいますが、それは事実ですか’という質問を時折受けた。その度に、胸が詰まって答えられなかった。私は1959年、いわゆる‘ベビーブーム’時代の末期に、平壌市の万景台区域のボンス洞で生まれ、北朝鮮を脱出する直前まで北朝鮮で飢餓を2度経験した。

飢えは非人間化の始まり

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最初は1970年代の初頭だった。当時、我が家は母は身を辛うじて動かせるほどの重い患者で、父も体が悪かった。両親とも患者だった。父の労賃はいつも未払いだった。更に、養父母を失ったいとこの3人の兄弟(2歳、5歳、8歳)まで引きとって育てたために、当時我が家は町内でもうわさになるほど苦しい生活をしていた。

上旬(1日~15日)の配給をもらって来ても、初日の1食だけご飯を食べて、15日から月末までの配給をもらうまで、44度の食事はいつもおかゆだった。当時、食べたことのない草はなかった。アカシアの花、つつじの花、ぺんぺん草、山菜。甚だしくは豚の餌にする草まで食べた……. 苦い草を掘って、煮つめて何日も水につけた後、中にトウモロコシの粉を一握りずつ入れてゆでて食べた。そのような状況でも、父には世帯主なので米飯を別に差し上げた。

私の人生の全てを占めると思われたその長い、残酷な飢えの時間は、3人のいとこが革命学院に行った翌年、母の自殺で終わった。当時、空腹だった期間が6年以上続いた。だが、当時の飢えがいくら長くてうんざりしたものであったといっても、少なくとも混乱するほどではなかった。おかゆを煮るほどだったとはいっても正常に配給があったし、草もあり、醤油やみその配給もあった。せっけんも十分ではなかったが毎月きちんと売ってくれた。そして、我が家のように絶望的な苦痛に追われた家は、100軒を超える町内でも1、2軒であった。(下に続く

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