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1961年8月13日未明、当時の東ドイツは、米英仏の西側3ヶ国の管理下にあった西ベルリンを取り囲む全長160キロに及ぶ壁の建設を始めた。自国民が西ベルリンを経て、豊かで自由な西ドイツに逃げ込もうとするのを妨げるためだ。

東ドイツから西ドイツに逃げた人の数は、1949年からベルリンの壁建設が始まるまで約268万人に及び、年単位で毎年10万人から30万人に達していた。しかし壁の完成後は1万人程度に激減、1966年以降は4桁にまで減った。

ベルリンの壁ができてから50年、そして崩壊してから32年。遠く離れた北朝鮮と中国との国境に往時のベルリンの壁を彷彿とさせる壁が建設されることになった。

デイリーNK内部情報筋は、金正恩総書記が、自筆でサインした親筆指示で、人の背丈を超えるコンクリートの壁と3300ボルトの高圧電線の設置を命じ、それに伴い慈江道(チャガンド)で先月24日から工事が始まったと伝えた。

かつての中朝国境には、川以外に行き来を塞ぐものはなく、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」、2009年のデノミネーション「貨幣改革」など、経済的、社会的に混乱した北朝鮮から多くの人が中国に逃げ出した。この10年ほどで、フェンスや鉄条網が設置されるようになったが、さらに本格的な壁の設置が始まったことになる。

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金正恩氏は「伝染病は見えない敵で、国境は最前線」として、新型コロナウイルスの国内流入を防ぐ障壁として、壁設置の意義を説明した。

北朝鮮当局は、国境警備兵力の3倍増員、国境監視塔の20メートルごとの設置などを行なってきたが、密入国や密輸、脱北を防ぐには役不足で、封鎖令(ロックダウン)を繰り返すという原始的な対策を取るしか方法がなかった。ところが、そのせいで物価が高騰し、餓死する人が相次ぐなど、弊害が顕在化した。

また兵役期間の短縮で、国境警備に充分な兵力を割けない状況も考えられる。そこで、強固な壁を建設して、なんとしてでも脱北、密入国、密輸を防ごうというのだろう。そのために、さらなる手段も動員された。

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両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、昨年11月、恐怖を煽り、脱北、密入国、密輸を防ぐために、国境地域に朝鮮人民軍(北朝鮮軍)12軍団所属の高射砲部隊が配属され、高射銃が設置された。

(参考記事:玄永哲氏の銃殺で使用の「高射銃」、人体が跡形もなく吹き飛び…

だが、実際に密輸事件が起きても、高射銃が発射されないまま、先月20日に撤収命令が下され、今月1日から撤収作業に入った。情報筋は、道内の国境地帯に配属されていた高射砲部隊はすべて撤収すると伝えた。

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北朝鮮で高射銃と呼ばれているのは、14.5mm口径の重機関銃4丁をひとつにまとめた「ZPU-4」だ。14.5mm口径の銃弾は威力が大きく、通常は人間に対してよりも、軽装甲の車両やコンクリート塀などの遮蔽物を貫通・破壊するのに用いられる。

事情通によれば「1発でも当たれば、人体の一部が吹き飛ぶ。発射速度の速い機関銃で打てば、粉々になり原形をとどめない」ほどだという。北朝鮮では金正恩政権になって以降、高射銃がたびたび公開処刑に用いられ、恐怖の象徴になっている。

ただ、サイズの大きい高射銃は、国境地帯の悪路で機動的に運用するには向かなかったのかも知れない。あるいは威力が強すぎるため、対岸の中国に被害が及ぶのを懸念したとも考えられる。

(参考記事:北朝鮮「国境接近者は無条件で射殺」方針を撤回、中国との合意

一方、コンクリート壁の建設が始まったという話は住民の間に広がり、「これからは密輸ができなくなるかもしれない、暮らしがさらに苦しくなるかも知れない」と動揺が広がっている。

また、「今のうちに決断を下すべきではないか」との声も聞こえるという。できるうちに、脱北した方が良いということだろう。社会安全省(警察庁)は、そんな住民の動向を把握し、監視をより一層強化するように指示を下した。

前述の東ドイツは、ベルリンの壁という「ムチ」だけでなく、制限付きながら自由な文化活動、宗教活動、豊かな消費生活を提供し、合法的な移住の道も開かれ、毎年1万人前後の出国を認めるなど、西ドイツに逃げる人を引き留めようと「アメ」でも対応した。しかし、北朝鮮が国民に与えるのは「ムチ」ばかりで、逃げ出さずとも安心して暮らせる「アメ」は一向に提供しようとしない。