「禁断の味」に狂わされた北朝鮮幹部たちの悲惨な運命

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中国との国境から70キロほど内陸に入った北朝鮮・平安北道(ピョンアンブクト)の宣川(ソンチョン)。朝鮮王朝時代末期から日本の植民地支配下にあった時代にかけて、平壌、黄海道(ファンヘド)の信川(シンチョン)と並び、キリスト教が非常に盛んな地域だった。

しかし、植民地支配下の末期から弾圧が激しくなり、北朝鮮の建国、朝鮮戦争と前後して、弾圧は最高潮に達した。韓国のモトゥンイトル(路傍の石)宣教会のイ・サク牧師は1996年4月、中央日報の取材に、北朝鮮の地下信者から送られてきた手紙の内容を明かした。それによると、1950年10月に宣川で、保衛部(秘密警察)が金牧師、李長老を含む信者20人を2人ずつ縄でくくりつけたまま、立坑に突き落とし、カラシニコフ銃で撃って殺害する事件が起きたという。

1960年代に入ってから家庭礼拝所の設置が認められるなど、弾圧が多少和らいだが、その後再び激しくなり、今では聖書をもっているだけで処刑されるほどの状況だが、未だに多くの地下教会が存在すると言われている。いずれも程度の差はあれど、韓国のキリスト教団体から支援を受けたりしている。

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そのような歴史的背景から、北朝鮮当局は宣川の住民を思想的に疑わしい不穏分子扱いし、一度たりとも1号行事(最高指導者が参加する行事)を開いていない。

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そんな地域の郡党(朝鮮労働党宣川郡委員会)の複数の幹部とその家族が大量に逮捕される事件が起きたと、地元のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

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郡の中心地の宣川邑のリ党書記は3月中旬、郡党の幹部たちを家に呼んで宴会を開いた。幹部の妻たちは、様々なごちそうを振る舞ったのだが、なんと韓国の料理レシピ動画を見て作った韓国風料理だったのだという。北朝鮮では、韓流文化は「非社会主義的」として厳禁されており、韓国風の料理も「禁断の味」となっている。

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幹部たちは料理を堪能するにとどまらず、韓国のK-POPを流しながら歌い踊り、大宴会を繰り広げた。そして「南朝鮮(韓国)の人たちのように、国内外の名勝地を訪れられたら、どれほど理想的だろうか」などと、韓国社会に対する憧れを隠すことなく語り合った。いくら権力に禁じられても、人間はいったん魅惑されたものを、容易に忘れることはできないのだ。

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秘密裏に開かれた韓流パーティだったが、運悪く用事で党書記の家を訪れた協同農場の技術指導員に見られてしまった。彼はすぐさま保衛部に通報し、平壌から派遣されていた反社会主義・非社会主義連合指揮部にも報告され、パーティ参加者全員が逮捕された。

口裏合わせができないよう、別々に勾留された彼らは、韓国の動画の出どころについて厳しく追及された。党書記の妻は、隣接する定州(チョンジュ)と亀城(クソン)の市場で購入し、他の幹部の妻にも分け与えたと陳述した。

指揮部はすぐさま、定州と亀城の市場で調査を行ったが、販売者を突き止めるには至らなかった。

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幹部は更迭され、昨年12月に成立した「反動的思想・文化排撃法」に加え、新型コロナウイルス拡散防止のため、一切の集まりを禁止している超特級防疫措置に違反したことで、非常に厳しい処罰が下されるものと見られている。処刑もあり得るということだ。

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情報筋は、地元住民の反応を伝えていないが、コロナ鎖国で以前にもまして苦しい生活を強いられているのに、それをよそに韓流パーティを繰り広げた幹部に対する怒りは相当なものだろう。また、当局から受け続けてきた差別的な扱いが、さらにひどくなるとの懸念の声も上がっていることも考えられる。