勢い増す「草の根資本主義革命」

2002年に施行された「7・1経済改善措置」以降、北朝鮮国内の市場は北の住民にとってなくてはならない命綱になった。巨大な流通網によって動く総合市場から山間奥地の中小規模の市場まで、そこに並ぶすべての商品は数段階の流通過程を経ることになる。

中国で物品を直接購入したり輸入した業者たちは、車や汽車を利用して咸興(ハムン)、清津(チョンジン)、平城(ピョンソン)、順川(スンチョン)、南浦(ナムポ)など大都市の問屋にそれを卸す。商品を卸売り値で購入した商人たちは、再び該当地域に物品を運び、小売商から利潤を得る。北朝鮮ではこのような商品の移動過程を「走り」と言う。

中国や北朝鮮国内で生産された商品が都市の末端消費者に伝達されるまでには、たいてい3段階の流通過程を経る。交通が不便な山間の農村の消費者にに行き渡るまでには、さらに1、2回の「走り」が必要になる。

最初の「走り」は中国商品の輸入と大量購買

卸売りは普通 「車走り」で行われる。燃料と運送手段が不足しているため、車も卸売商人が調達して動かしているケースも多い。こうした物品運送車を北朝鮮では「ソビ車(チャ)」と呼ぶ。外来語の「ソビス(Service)」と朝鮮語の「車(チャ)」を合わせた新語である。

北朝鮮の某商社に所属する貿易商で、現在中国の丹東に滞在しているキム・ミョングク氏(仮名・41歳)は、中国の工場で直接商品を購入する。購買量の少ない時は車で、多い時は汽車を利用して商品を運ぶ。

キム氏によれば、2006年には商売が順調な時には一度に60トンに達する布地を中国で購入し、1ヶ月以内に現地で北朝鮮国内の中間問屋に卸したこともあるという。

両江道(リャンガンド)の恵山(ヘサン)から中国産衣類、布地、靴などを清津に運ぶ卸売り商のチェ・ヨンチョル氏(仮名・38歳)は「車走りにも 1次走り、2次走りがある」と 話す。「走りは多くの元手が必要な商売で、ひとたび動くとなると、すべての情況を考慮して、愼重に愼重を重ねなければならない」と語った。

チェ氏は華僑が中国から持って来る物品を両江道で渡され、これを再び咸鏡北道(ハムギョンブクト)清津の問屋に出す。

キム氏は「車で商品を卸売りするためには、少なくとも350万ウォン(韓国の100万ウォン)、多い時は3500万ウォン(韓国の1千万ウォン)という非常に高額な元金が必要だ」と言い、「各地域の境と国境地域で、車で移動するのに必要な通行証の発給を受けなければならないが、ここで一般の住民たちが想像もできない程大きな金額が必要になる」と語った。

最初の「走り」で得られる収益は、自動車税、役人などに道中で渡す各種の追加金(わいろ)などの経費を支払ったら、商品の原価の20%程になるという。例えば100万ウォンを持って「1次走り」をすると、およそ20万ウォンの純利益を得られるということだ。

「1次走り」は、選ばれたごく少数の金持ちの問屋たちだけが享受できる特権でもある。「1次走り」をするためには、保衛部と保安署の協力を得ることが必須だ。彼らの協力なしには国境通行証や旅行証明書を得ることができない。

また、華僑たちと取り引きするためには、財力と信用を認められなければならない。彼らの助けがあれば中国で品物を購入し、安い価格で取り引きすることもできる。「1次走り」の業者たちは、たいてい現金の保有量が1万米ドルを超す金持ちだと思われる。

大都市の中間拠点に通じる流通過程

「1次走り」の業者たちは中国の現地、または国境地域にある新義州、恵山、満浦(マンポ)から江界(カンゲ)や咸興、清津の問屋に卸したり、大都市の総合市場の小売商に直接売る。大都市に移動した商品は「2次走り」の業者を通じて再び地方の中小都市に行く。

平安南道の平城、順川、南浦の総合市場は、中国や日本などの外国から持ち込まれた商品を平安南道(ピョンアンナムド)、平安北道(ピョンアンブクト)及び黄海道(ファンヘド)に供給する。「2次走り」の中間拠点だ。

現在、平南の順川市場で商売をするムン・ヨンエ氏(仮名・38)は、「1次走りが品物を持ちこんだと聞けば、私たちはお金を準備してすぐ走り業者の家をたずねる。1次走りは大金を持って動くから、一般の人々が品物を買いに行っても戸をあけてくれない」と話した。

ムン氏のような「2次走り」業者が1回品物を購入するのに使うお金は50万ウォン(韓国の17万ウォン)ほどだ。ムン氏は1次走り業者から品物を購入したら家に保管して、地域の市場の商人や他の郡の市場の商人たちに卸す。

ムン氏のような「2次走り」業者にとっては、安くて良い商品をいくら確保できるのかがカギだ。商品の選択が下手だったり、十分な量を確保できなければ、大きな損害を被る。商品の選び方が下手で損害を被るのは、「1次走り」業者も「2次走り」業者と同様だ。

製造と加工を通じる3次流通

布地、砂糖、小麦粉のような原料商品は、「2次走り」業者たちの手で加工業者に送られる。ここで精製と加工を経て市場に流通されるのだ。

砂糖と小麦粉は各種のキャンディーや菓子、パンの原料として使われる。中国産のサジ布(色が濃く丈夫な素材)は、各種のジャンパーや既製服に加工される。「2次走り」業者から品物を渡される加工業者は大部分が個人経営だ。個人が直接布地から服を作り、砂糖を用いて家でキャンディーや菓子を作る。

咸興で服の加工をしながら暮らしているイ・ミョンヒ氏(仮名・31)は、家にミシンと、北朝鮮で一般的に「オバロック」と呼ばれている修繕機械を備えて、朝から日が暮れるまで服を作る。普通、こうした個人加工業者を「ソレギ」と呼ぶ。

イ氏は普段から問屋とうまく付き合い、後払いで布地を受け取りジャンパーや作業服を作る。イ氏の作った服は大部分、咸興地域の市場を通じて販売され、一部は交通が不便な田舍の山間地域まで運ばれる。

90年代後半の「苦難の行軍」の時期を経て、北朝鮮の住民は家内手工業に多くの投資をした。現在、北朝鮮の総合市場で流通しているキャンディーの50%、各種既製服及び作業服の30%は、北の住民たちが家内手工業を通じて生産したものだ。

資本が多くなかったり、総合市場に売台(販売台)を持てない人々は風呂敷商をする。彼らは手工業製品を汽車やソビチャを利用して田舍の山間地域に流通させる「3次走り」だ。

彼らは現金がない田舍の人々と、トウモロコシや豆、米などの穀物を商品と交換するやり方で商売をする。北朝鮮の写真によく登場する、大きなリュックサックや包みをしょって汽車に乗る人々が、まさにこうした商人たちだ。

北朝鮮での卸し売りと小売りの流通過程は、権力とお金を持っている特権階層から始まり、生存のために奮闘する中間商人たちを経て、消費者に商品が運ばれる。

「闇市場」と呼ばれ、夜間にだけ密かに取り引きされていた農民市場が、おびただしい収益が行き交う巨大な生活の糧の連なりに発展し、「草の根資本主義革命」の推進力となったのが、今日の北朝鮮経済の姿だ。

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