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 ※この記事には、暴力的、猟奇的な記述が含まれています。

1991年10月中旬、北朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)新浦(シンポ)市の裁判所で、ひとりの男に死刑判決が下された。パク・ミョンシク。12人もの命を極めて残忍な手口で奪うという、北朝鮮史上まれに見る連続殺人の犯人だった。

事件の発端は1990年4月。新浦に住んでいたパクは、肝硬変を患っていた。大都市咸興(ハムン)の病院を訪れ名医の治療を受けたものの、病状が好転することはなかった。そんなある日のこと、仲の良い同僚からよく当たるという占い師の話を聞かされた。

北朝鮮で占いは、刑法256条の迷信行為罪に当たり、最高刑は労働教化刑(懲役刑)3年と定められている。よほどの仲でなければ、占いの話などできないが、同僚はパクを信用して、占い師を紹介した。

占い師を訪ねたパクは、肝硬変でいつ死ぬかわからない、助かる方法を教えて欲しいと頼み込んだ。一見の客は警戒するものだが、よほど切実に見えたのだろうか、断りきれずに数日後に再び来るように言った。

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数日後。占い師が告げた助かる方法とは、人間の肝臓を食べるというものだった。それも、肝臓の持ち主が若ければ若いほどいいという。

占い師のお告げを真に受けた小心者のパクは悩みに悩んだ。死にたくはないが、人をどう殺せばいいのか見当もつかなかった。しかし、そうこうしているうちに病状は悪化していった。

「どうせ死ぬのだから、占い師に言われたことを試してから死のう」

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そう思ったパクは、獲物を物色し始めた。農場には毎年春と秋に都会から高等中学校(中学高校)の生徒たちが支援にやって来る。彼らは2〜3人1組となって、1ヶ月弱から2ヶ月ほど農民の家に住み込んで農作業を手伝う。

明るいうちに生徒が泊まり込んでいる家を確認したパクは、午後11時ごろになってから、疲労困憊して寝静まっているある男子生徒の口を手で塞ぎ、凶器を振り下ろした。虫の息の生徒を外に運び出そうとしたが、犬に吠えられたため、庭に置き去りにして逃げた。生徒は翌朝までに死亡した。まだ15歳だった。

数日後、第1の現場から4キロ離れた別の農場から、男子生徒が拉致され、遺体となって発見された。遺体は腹部が激しく損傷していた。新浦市保安署(警察署)は捜査に乗り出したものの、不思議な事件だと繰り返すばかりだった。北朝鮮での犯罪捜査は、科学的なものではなく、証拠と証人頼りで、何もなければ捜査がストップしてしまうのだ。

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さらに数日後。今度は新浦の町中で、20代の女性の遺体が発見された。2番目の犠牲者と同様に、腹部が激しく損傷していた。保安署が手をこまねいているうちに、事件が次々に発生。犠牲者は12人に達した。

街中が恐怖に包まれ、外出すらできないという人が相次いだ。市のトップに当たる朝鮮労働党新浦市委員会の責任秘書は、無能だと揶揄され、平壌で開かれる会議では「殺人将軍」というあだ名で呼ばれる有様だった。

そしてその年の10月。都会からはまた大勢の生徒が収穫の支援にやって来た。

詳細は不明だが、パクはまた生徒に襲いかかった。しかし、生徒は激しく抵抗し、大声を出して逃げ出した。それを聞いた地域住民が待っていたかのように一斉に飛びかかり、パクを押さえつけた。半年に渡って連続殺人犯の恐怖にさいなまれ、もはや無能な保安署には任せておけないと市民が立ち上がった結果だった。

その後、パクに人間の肝臓を食べるように指図した占い師も逮捕され、労働教化刑15年の判決が言い渡された。教化所(刑務所)に収監され、2006年に満期で出所したと伝えられている。