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同通信の報道全文は次の通り。

朝鮮外務省軍縮・平和研究所 米国の対朝鮮敵視政策の侵略的で略奪的な本性を暴露

【平壌6月25日発朝鮮中央通信】朝鮮外務省軍縮・平和研究所は、20世紀50年代に米国が起こした朝鮮戦争の真相を全世界に告発し、全朝鮮民族に計り知れない不幸と苦痛を強要している米国の対朝鮮敵視政策の侵略的で略奪的な本性を暴く研究報告書を25日、発表した。

報告書は、朝鮮戦争は米国の対朝鮮敵視政策の必然的な所産であることについて暴露した。

百数十年前から、米国はアジア大陸の関門である朝鮮を侵略して自分らの支配下に入れることを国家政策とし、その実現のための対朝鮮敵視政策に必死になって執着した。

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米国の支配層は、1845年2月に「朝鮮開放案」を議会に上程させ、1866年に「シャーマン」号侵入事件、1868年に「シナンドアー」号と「チャイナ」号侵入事件、1871年に大規模の武力侵攻事件を次々と起こした。

米国は1905年の「桂・タフト協定」の締結後、日帝の朝鮮占領と植民地支配をあおり立てて、将来、朝鮮を自分らの植民地につくるための策動を系統的に強行したし、第2次世界大戦の末期には朝鮮に対する占領計画を完成した。

米国は、世界制覇戦略に従って朝鮮を「米国の軍事機構とアジア本土の間の唯一の接触点」「思想戦争の場」、世界制覇実現のための決戦の「試験場」、戦後パニックの唯一の活路に選定した。

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朝鮮戦争の準備を主導した米国の侵略的正体は、戦争計画の作成を通じてもよく分かる。

米国は、極東侵略のための計画を3段階に分け、第1段階は朝鮮戦争から始め(A)、第2段階は戦争の炎を中国に拡大(B)し、最後の段階にシベリアへ侵攻(C)することにし、作戦開始を1949年に予見した。

綿密な打算と具体的な準備の下で、米国は1950年6月25日4時、ついにかいらい軍をあおり立てて朝鮮戦争を挑発した。

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戦争前夜に米軍事顧問団団長のロバートは、「われわれがなぜ6月25日を選ぶようになるのか?これにわれわれの慎重な意図がある。25日は日曜日である。キリスト教国家である米国や南朝鮮は日曜日を安息日に定めている。われわれが日曜日に戦争を開始したということを信じる人はおそらくいないであろう。言い換えればわれわれが戦争を起こしていないということを人々に信じさせるためである」と言った。

米国は朝鮮戦争を挑発した後、自分らの侵略的本性を覆い隠すために狡猾(こうかつ)に策動した。

6月25日、米国は国連安保理を招集し、朝鮮を「侵略者」に規定する国連安保理「決議」第82号をつくり上げたのに続けて、7月7日には同盟諸国の兵力を「米国の指揮下にある統一司令部」に配属させることを「勧告」し、米国にその司令官を任命することを「要請」し、国連旗の使用を「許可」することに関する国連安保理「決議」第84号を次々とつくり上げた。

これにより、朝鮮は戦争を起こした「挑発者」に、朝鮮人民の祖国解放戦争(朝鮮戦争)は「侵略」にまどわされ、交戦当事者として「国連軍」が出現するようになった。

「国連軍司令部」が国連管轄の機構ではなく、ただ米国の戦争道具であることについては歴代国連事務総長らも公式に認めた。

苛烈を極めた戦争は、偉大な領袖の指導を受ける英雄的朝鮮人民の奇跡的勝利に終わったが、朝鮮民族が受けた人的・物的被害は実に莫大であった。

公式の統計によっても、米帝は朝鮮戦争の時期に朝鮮で123万人余り、南朝鮮で124万人余りを虐殺し、化学兵器、細菌兵器まで使用して朝鮮民族を全滅させようとした。

戦争が終わった後、朝鮮人民に残ったものは事実上、灰じんしかなかった。

報告書は、停戦協定を系統的に破壊した米国の犯罪的策動について暴いた。

朝鮮戦争は停戦協定で一段落、幕を下ろした。

米国は朝鮮人民をなんとしても奴隷につくり、全朝鮮半島を併呑しようとする野望から停戦協定に署名したインクが乾く前に、停戦協定に乱暴に違反して情勢を戦争の瀬戸際へ追い込んだ。

米国は、朝鮮から全ての外国軍隊を撤退させ、朝鮮問題を平和的に解決することを規定した停戦協定第4条第60項を反故(ほご)にした。

1953年10月26日から板門店(パンムンジョム)で開かれた政治会議招集のための予備会議で米国は人為的な障害をきたし、妨害策動をこととして同年12月12日、会議場から一方的に退場したので政治会議は本会議に入れなかったまま、予備会議の段階で決裂した。

その後、朝鮮問題の平和的解決のためのジュネーブ会議が招集されたが、米国は会議を故意に破綻(はたん)させた。

米国は、米軍の南朝鮮永久駐屯を合法化するために1953年8月8日、南朝鮮と「相互防衛条約」を締結した。

1955年1月2日、当時の米統合参謀本部議長は米軍が世界制覇の実現において重要な戦略的意義を持つ南朝鮮に無期限駐屯し、引き続き朝鮮問題の平和的調整を妨げると言いふらした。

1975年11月、第30回国連総会で朝鮮半島における恒久平和のために「国連軍司令部」を解体することに関する決議が採択された以降、米国は米国・南朝鮮「連合軍司令部」のつくり上げで永久占領の陰謀を露骨にした。

2006年3月初め、米国は朝鮮戦争の各参戦国の役割を強め、それらの国々を有事の際および作戦計画の樹立にはもちろん、細部的活動にも参加させて有名無実になった「国連軍司令部」を恒久的な多国籍連合武力機構に拡大、再編成することに関する計画を出し、その実行に取り掛かった。

結局、停戦協定を平和協定に変えるための過程は挫折し、朝鮮半島では戦争でも平和でもない不安定な状態が持続している。

米国は、停戦協定第2条第13項B目に背ちして1953年8月、不法無法の西海「北方限界線」を一方的に引いてその周辺地域を世界最大のホットスポットにつくり、朝鮮に対していかなる種類の封鎖もできないと規定した停戦協定第2条第15項に反して「大量殺りく兵器拡散防止構想」という美名の下で、朝鮮に対する封鎖を実現しようと各方面から策動している。

米国は、朝鮮境外からの全ての武装装備の搬入を一切禁止することに関する停戦協定第2条第13項D目を破棄し、南朝鮮を世界的な武器展示場に変貌(へんぼう)させた。

米国は、1950年代末から1980年代に至る期間におおよそ1000基がはるかに超える核兵器を南朝鮮に搬入して南朝鮮を「NATO」加盟国に比べて4倍が超える世界的に核兵器の配備密度が最も高い地域に、核戦争勃発(ぼっぱつ)のための前哨基地に転変させたし、1982年3月には第14回米国・南朝鮮定例安保協議会なるところで南朝鮮に対する米国の核の傘の提供を公式化した。

21世紀の初めには「核戦略態勢の見直し(NPR)」を通じて朝鮮を核先制攻撃対象のリストにのせた米国は、核兵器と共に天文学的金額に及ぶ戦争装備を南朝鮮に搬入した。

米国は、停戦協定履行の最後の監督機構であった軍事停戦委員会と中立国監督委員会までなくした。

米国は、朝鮮での敵対行為と一切の武装行動の完全な停止を保障することに関する停戦協定の序言と第12項も破棄した。

米国は、1954年に初めて南朝鮮と合同軍事演習「フォーカス・レンズ」を行った時から現在に至る期間、「フリーダム・ボルト」「チーム・スピリット」「ウルチ・フォーカス・レンズ」「連合戦時増援演習」「キー・リゾルブ」「フォール・イーグル」「ウルチ・フリーダム・ガーディアン」など、各種の戦争演習を絶え間なく行った。

演習の回数と規模も、世界のどの地域で行われる戦争演習をはるかにしのぎ、原子力空母、原子力潜水艦、核戦略爆撃機など、3大核戦略資産が朝鮮を狙った核戦争演習に総動員された。

米国の対朝鮮敵視政策と絶え間ない核威嚇・恐喝によって、朝鮮半島は任意の瞬間に核戦争が勃発しかねない世界最大のホットスポットと化した。

もし、われわれが自衛的抑止力を非常に強化しなかったなら、朝鮮半島は数百回も戦争の惨禍に陥ったはずであり、第3次世界大戦という大災難がすでに起こったであろう。

報告書は、戦争抑止力の強化がわれわれの最終の選択であることについて明らかにした。

われわれを力で圧殺し、アジア太平洋地域で軍事的優勢を占め、ひいては世界制覇野望を必ず実現しようとする米国の策動は、日を追っていっそう露骨になっている。

朝鮮政府が数多くの平和の提案と発起を打ち出したが、米国はこれら全てのものをあくまでも拒否した。

かえって、米国はあらゆる不法のレッテルを張り付けた。

はては、わが国家の「完全破壊」という妄言までためらうことなく吐いたし、われわれの思想と体制を転覆するために血眼になって狂奔した。

米国の対朝鮮敵対行為は、われわれに対する核兵器の使用を公言し、核威嚇を加えた事実だけを通じてもよく分かる。

朝鮮戦争の期間、われわれに対する原爆使用を公然と唱えた米国は、停戦協定が締結された後も核威嚇をエスカレートした。

われわれに対する米国の核威嚇は、2017年に極に達した。

米国は、超大型原子力空母であるカール・ビンソン、ロナルド・レーガン、核戦略爆撃機であるB1B、B52H、B2A、原潜であるコロンブス、トゥーサン、ミシガンをはじめとする核戦略資産と最新戦争装備を南朝鮮とその周辺に投入して朝鮮半島を核戦争の瀬戸際に立たせた。

米国の核威嚇と対朝鮮敵視政策は、新たな朝米関係を樹立し、朝鮮半島で恒久的で強固な平和体制を構築するためのシンガポール朝米首脳会談が行われた後、さらにあくどく実施された。

われわれが朝米間の信頼構築のために核実験と大陸間弾道ロケット試射の中止をはじめ、重大かつ意味ある措置を先制的に取ったことにもかかわらず、米国はこれに対応した措置で応えるどころか、大統領が直接中止を公約した合同軍事演習を数十回も行ったし、先端戦争装備を南朝鮮に搬入してわれわれを軍事的に脅かした。

われわれの大陸間弾道ロケットの迎撃を想定した迎撃ミサイル試験と各種のミサイル試射をはばかることなく行って、われわれに対する核威嚇を極大化した。

朝鮮民族は広島、長崎に対する米国の核攻撃の被害を直接受け、日本人の次に多くの死傷者が出た民族である。

米国の核威嚇を取り除くために朝鮮政府は、対話を通じた努力も、国際法に基づいた努力もやってみたが、全部水泡に帰した。

残った最後の選択はただ一つ、核には核で対抗することだけであった。

結局、米国がわれわれをあくまで核保有に進ませたのである。

これにより、核兵器と核の傘でいっぱいであり、唯一、朝鮮民主主義人民共和国だけが核空白地帯に残っていた北東アジア地域の核不均衡の状態は終わった。

報告書は、諸般の事実は朝鮮半島情勢激化の根源が米国の対朝鮮敵視政策と核威嚇にあるということを明白に実証しており、米国が朝鮮を敵に、交戦相手国に対する敵視政策を撤回しない限り、朝鮮半島で核戦争の暗雲は絶対に消えないということを証明していると指摘した。

米国によってこの地で残酷な戦乱を強いられた朝鮮人民にとって、国家防衛のための強力かつ威力ある戦争抑止力は必須不可欠の戦略的選択になったと明らかにした。

朝鮮民主主義人民共和国国務委員会の金正恩委員長は朝鮮労働党中央軍事委員会第7期第4回拡大会議で、国家武力建設と発展の総体的要求に従って国の核戦争抑止力をよりいっそう強化し、戦略武力を高度の臨戦状態で運営するための新しい方針を打ち出したと指摘した。

報告書は、世界最大の核保有国であり、唯一の核兵器使用国である米国がわれわれに対する病的かつ体質的な敵視政策に執着しながら極端な核威嚇・恐喝をこととしている状況の下で、われわれは米国が加えてくる持続的な核威嚇を制圧するためのわれわれの力を引き続き養い、われわれが選択したこの道から絶対に退かないと強調した。---