「余計なひと言」で見せしめの刑にされた北朝鮮男性の悲劇

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かつて500年にわたって高麗(918年〜1392年)の都が置かれていた開城(ケソン)。元々はソウルと同じ京畿道(キョンギド)に属し、鉄道で1時間半〜2時間ほどで結ばれ、行き来も頻繁だった。

1945年に朝鮮が日本の植民地支配から解放され、北緯38度線を境に北をソ連、南を米国が分割統治することになったが、それより南にあった開城は米軍統治下、やがて韓国の領土となった。

しかし、市街地のすぐ北西にある松岳山(ソンアクサン)の頂上は38度線の北側で、山麓や市街地が最前線。1949年5月には、韓国軍と朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の間で戦闘も起きている。

やがて朝鮮戦争が勃発。朝鮮人民軍(北朝鮮軍)に一度占領された開城だが、後に連合軍が奪還。しかし、結局は北朝鮮の領土になってしまった。開城を防衛するには、市内の約20キロ北を流れる礼城江(レソンガン)まで確保する必要があったが、難しかったため、意図的に放棄されたと言われている。

そんな歴史を呪うひとことを吐いた開城市民が摘発されたと、デイリーNKの内部情報筋が伝えている。摘発されたのは、開城人参酒工場の初代支配人の孫だ。彼の発言は次のようなものだった。

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「(国家は)昼も夜も、戦争が起きるとか何だとか言って(一般市民を)痛めつけているが、なぜ開城がこんな有様になっているのだろうか。(開城が)南側に入って境界線が引かれたならば、運命は良い方向になったろうが、これ(今の現状)がわれわれの運命だ」

北朝鮮は先月16日、開城の郊外にある南北共同連絡事務所を爆破したが、保衛部(秘密警察)はその数日前から人民班(町内会)や工場、企業所を回って、爆破に注意するよう伝えると同時に、情報員(スパイ)からの報告を受けていた。この発言が、その過程で把握されてしまった。

(参考記事:金与正氏、南北連絡事務所の爆破を実行…「もうひとりの指導者」強調か

彼は以前にも「戦争が起きれば誰が死んで誰が生き残って、というものはない。北と南はみんな死ぬ。それがわれわれの運命だ」との発言をして、問題になったことがあるという。保衛部は彼を逮捕し、家族もろとも開城から追放する処分を下した。

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一家の行き先は明らかになっていないが、保衛員が「寒いところで苦労しろ」と言いながら連行したという証言から、北部の山奥に追放されたのだろうと言われている。あるいは山間部の政治犯収容所の類かもしれない。

(参考記事:若い女性を「ニオイ拷問」で死なせる北朝鮮刑務所の実態

また、保衛員は住民に対して「言葉に気をつけろとあれだけ言ったのに、余計なことを言って見せしめにされたのだ。情勢が複雑になればなるほど、政府は住民の思想をまず確認する。全員、改めて言葉に気をつけろ」と警告し、住民は一斉におとなしくなったと、情報筋は伝えている。

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「成分」「階層」と呼ばれる北朝鮮の身分制度の観点からも、この一家の追放が与えるインパクトは大きいだろう。前述の通り、開城は一時期、韓国の支配下にあったことから、「成分が悪い」とされる市民が他より多いと言われている。そんな中で、成分がよくなければなれない工場支配人の孫の一家が追放されたのだ。

(参考記事:【徹底解説】北朝鮮の身分制度「出身成分」「社会成分」「階層」

開城には、2000年6月の南北首脳会談での合意に基づいて開設された開城工業地区があり、多数の韓国企業が進出。市民は韓国の文物や食に触れ、比較的豊かな暮らしをしていた。ところが工業地区は閉鎖され、生活レベルは低下。そこに加えての南北合同連絡事務所の爆破で、市民の北朝鮮政府に対する不満が高まっていた。

(参考記事:北朝鮮国民は「脱北者非難」に同調せず…国内引き締めが逆効果

市民の間では「(韓国や南北関係を)目では思いっきり見ても、言葉にはしないでおこう」という言葉が流行しているという。