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北朝鮮を出て中国に入り、ベトナム、ラオス、タイなどを経由して韓国入りする。これが近年、多くの脱北者が辿るルートだ。韓国到着後は、国家情報院の北韓離脱住民保護センター(旧政府合同尋問センター)で取り調べを受け、統一省のハナ院で3ヶ月間、韓国生活についての教育を受ける。その後、ようやく社会に出られる。

しかし、その過程で問題が生じることもある。最も有名なのは、映画「スパイネーション/自白」でも描かれたスパイ捏造事件だろう。スパイとされたユ・ウソンさんの妹、ユ・ガリョさんは、合同尋問センターで約半年にわたり拷問に近い取り調べを受け、兄がスパイだと虚偽の陳述をしてしまったことから、スパイ事件がでっち上げられた。このときに問題になったのは、ユさんきょうだいが北朝鮮国籍者ではなく、中国国籍を持ち北朝鮮で生まれ育った華僑だった点だ。

国籍が悲劇を引き起こした事例は、他にも数多く存在する。以前、デイリーNKジャパンで報じたパク・テヒョンさんもその一人だ。大法院(最高裁判所)は昨年12月24日、検察の上告を棄却し、無罪を確定させた。

(参考記事:中国生まれの脱北者、「偽装」の汚名をすすぐ

パクさんにかけられた容疑は、中国国籍者なのに脱北者を装い脱北者支援金を受け取っていたという北韓離脱住民保護法違反だ。韓国のハンギョレ新聞が、パクさんの生い立ちと、その後の苦難について報じている。

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パクさんは1960年、北朝鮮国籍の父親と中国国籍の朝鮮族の母親との間で北朝鮮で生まれたが、生後すぐに母とともに中国に移住した。北朝鮮政府が、自国に住む華僑に中国国籍の放棄と帰化を求めるキャンペーンを始めるなど、中朝関係が悪化し始めたころだ。

ところが、15歳になった1975年、パクさんは父親に呼ばれて北朝鮮に戻った。中国が文化大革命で大混乱に陥っていたころだ。それ以降、北朝鮮の公民証を受け取って北朝鮮国民として生きてきた。

このように、東アジアの近現代史が生み出した国籍、民族、居住国が一致しない人は数多く存在する。19世紀末に咸鏡北道(ハムギョンブクト)から多くの朝鮮人が現在の中国吉林省に、1920年代以降は平安道(ピョンアンド)や慶尚道(キョンサンド)から現在の遼寧省、黒龍江省に多くの朝鮮人が移住した。1945年の日本の敗戦で多くが朝鮮に戻ったが、残った人々に対して中国政府は1952年に中国国籍を与えた。こうした人々が、現在200万人以上いる中国朝鮮族の多くを占めている。また、日本の植民地時代に主に中国山東省から朝鮮半島に移住した漢民族、つまり華僑も数万人いる。

(参考記事:北朝鮮華僑、その黄金期と衰退期

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平安北道(ピョンアンブクト)の機械工場で働いていたパクさんは、空腹から逃れるために工場の部品を盗み、労働鍛錬隊送りとなった。刑期は1ヶ月だったが強制労働、暴力、劣悪な環境に耐えかねて脱走、国境の川の中洲に身を潜めていたが再び逮捕され、労働鍛錬隊に戻されそうになった。パクさんはトラックから飛び降り、川を渡って2011年11月、中国にたどり着いた。

身分が不確かで仕事を得られなかったパクさんは、ブローカーから中国の偽造パスポートを買って韓国に向かうことを決意した。ところが、ブローカーから手渡されたのは偽造ではなく本物のパスポートで、戸口簿(戸籍)も作られていた。偽装なのか、元々あった戸籍を復活させたものなのかは、パクさんにもわからない。

2007年11月に韓国に到着したパクさんは、脱北者として認められ、住まいと仕事を得て生活を営んでいた。2010年10月、北朝鮮に残してきた妻と息子を韓国に連れて来るため中国へと向かったが、入国審査で「中国人なのになぜ韓国のパスポートを持っているのか」「もしかして脱北者ではないのか」と咎められた。

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パクさんはとっさに「中国国籍者だが、韓国でオーバーステイになったので韓国人名義のパスポートを買った」と嘘をついた。パスポートを取り上げられ釈放されたパクさんは韓国領事館に駆け込んだが、領事はパクさんの中国国籍を確認し、それを韓国政府に通報した。パクさんの韓国国籍と脱北者としての支援はすべて剥奪された。

パクさんは2015年11月になってようやく韓国に戻ることができたが、すべてを失った上に、検察に逮捕されてしまった。

現在は無罪判決は勝ち取ったものの、失ったものを取り返せたわけではない。韓国国籍を回復させられず、苦しい生活を強いられることには何の変わりもない。

脱北者であるのに、支援を受けられずに苦しむ人は少なくない。例えば、脱北後に中国で10年以上滞在した人は、韓国にやって来ても脱北者としての支援を受けられないことから、苦しい生活を強いられている。

(参考記事:脱北から10年以上中国滞在の脱北者、支援対象外となり抗議のハンスト

脱北者として正式に認められても、生活が苦しいことには変わりない。今年7月に起きた脱北者母子餓死事件は、貧困層に転落した脱北者に対する韓国政府の支援に穴があったことを示す事件で、韓国社会に衝撃を与えた。

(参考記事:飢えから逃れたどり着いた韓国で…ある脱北者母子の悲劇

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