北朝鮮から餓死者が続出しているという知らせがひっきりなしに聞こえてくる。1990年代中盤に多数の餓死者を出した水準ではないものの、相変らず慢性的な食糧不足だと伝えらる。

時代に逆行する金正日政権の経済政策は悪化する一方だが、今日も住民達の生き残るための生存競争は激しく広がっている。

90年代中盤からのいわゆる『苦難の行軍』時期を耐え抜き生き残った北朝鮮住民は、それなりの生存方法を獲得した。飢え死んで行く家族と知り合い、同僚を見るしかなかった残酷な現実で、『首領の国』『地上の天国』というスローガンがどれほど空しいのかを悟った彼らは、もう金正日政権に頼らない。

当時の北朝鮮の食糧難がどれほど酷かったかというのは、多くの北脱出者の証言で確認できる。金を掘って一日一日を生き延びようとする人々の日常生活を見てみよう。

両江道恵山市ノクボン山の側に位置するある村は、24世帯ほどが生活している。2004年にサムヴュ電所ができてからは、学校をはじめとする公共施設やセーフティネットが全て無くなった。

しかし、なぜかこの村に人々があふれている。この村で金が出るという奄?キきつけ、全国各地から金を掘るために人々が集まり、住宅地だけでなく山の谷間に掘っ立て小屋が多く作られた。

犯罪を犯して逃げた人、障害者、商売に失敗した人、主婦、会社員、大学生、農民、9才以上の子供たち、ホームレス、軍と役人など階層は違えど老若男女が金を掘るためにこの村に集まったのだ。

ただ、軍と役人達(主に土地を管轄する)は穴に入らず、与えられた権限を利用して『実績』を取りまとめる。

彼らとは違い軍や役人の保証がなく、十分な機器もない大部分の人々は昔ながらの手で金を掘った。彼らの願いは「どうか今日だけは追い払われずに金を掘れたらいい」と思うことだ。

彼らの一日の日課は、金脈で鉱石を採掘し、水辺で洗って採取し、これを売ったカネで食べ物を買うことだ。

朝食が済めば作業服を着て、ハンマー、ヤスリ、たらい、丈夫な麻袋(ほとんどが青色で『大韓民国』と書かれた麻袋)とバケツ、電池、蝋燭、シャベル、綱、ざる(金を取れるように木で仕切りを作って使用)などの作業道具を持って穴に入っていく。

ひとまず鉱石採取をした後は、バケツに引き上げた鉱石を川岸に持って行き水で注ぎ石と土は出す。さらに重石と『金』を分けてべつべつにすれば作業は完成だ。

これらの作業も、監視する人間がいなければ可能だが、軍隊や役人が現場に来れば彼らは『土地盗賊』とみなされ追われる。許可を受けない作業のため、監視員が現場に来ると、あちこちで大騷ぎになる。

捕まれば作業道具から採取した物まで全て奪われる。見逃してくれと頼んでも通じない。少しでもさからえば男女ともにひどい目に遇う。このために一部では彼らに賄賂としてタバコや酒を送り、取り締まりから逃れようとする。

それすらも出来ない人たちは、明け方に他人が掘り出した土を大量に収集し、ざるをふるのがよく見られる。ここでは悲惨な事故も日常茶飯事だ。

2008年6月16日、恵山市(ヘサンシ)チュン里の一人の男性(39才)が、明け方から他の人々が捨てた土200袋を川岸に置いて、昼食を食べようとしたところ、川を渡ろうとしていたが助けてくれと手を振る人がいたので、助けようと川に入り命を失った。

そこは深さが10m以上だった。苦しい労働に疲れていたが、金の採掘で出来たくぼみに落ちてしまった。その近辺で金を採っていた人たちも水に落ちた人を探しはじめるが、見つけるのは容易ではない。

水深が非常に深く水の流れもあり、落ちた人を探せなかった。結局、保安機関と軍隊が2日ぶりに死体を探し出し翌日に葬儀を行った。

突然の事故で夫を失った女性は9才の息子と一緒に夫を奪ったその川で、また金を採りはじめる。深刻な食糧難を象徴するような現実に住民は胸を痛めたという。

夫を土葬した翌日、食べるために決して来たくはないだろう場所で、生きるために働く女性を見て人々は同情したが、女性は平静を装っていた。

北の女性の痛ましい現実を物語るエピソードだ。今でもノクボン山には、食糧難に追いやられた住民が集まっている。軍と役人の取り締まりを避け、命を賭け、川底をはいずり回る住民の生きるための闘いは今日も続く。

身近な人が死のうが、今日を生きるために厳しい生存競争の場へ向かう北朝鮮住民の悲しみは現在進行形だ。金正日政権の根本的な変化がない限り、住民の生存闘争に終わりはない。

    関連記事