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北朝鮮の北部山間地に住んでいた40代男性。家族の暮らしを双肩に担い、数十年に渡って密輸を続けてきた彼は、変わり果てた姿となって家族の元に帰ってきた。そんな悲劇を両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋が伝えてきた。

事故が起きたのは6月10日。道内の普天(ポチョン)郡の樺田里(ファジョンリ)に住む40代の男性は、30キロもの銅くずを入れたリュックを背負って、国境を流れる鴨緑江を渡ろうとしていた。ところが、急流に足を取られてしまった。

気象サイトの中国天気通によると、普天郡の向かいの中国吉林省長白では事故の前日に12ミリの降雨を記録している。そのため、普段より水の流れが速かったものと思われる。

リュックを投げ捨てればよかったのだが、彼はリュックを背負ったまま必死にもがいたものの、結局は流されてしまった。

男性が翌日になっても帰宅しないので心配になった家族が密輸業者を尋ね歩いた。そして、急流に流されたと判断し、以前からよく渡河していたあたりを中心に捜索した結果、その下流で変わり果てた姿となった彼を発見したという。家族の生活がかかったリュックを捨てられなかったのだろうと、家族は見ている。

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彼を死に追いやったのは「貧困」だ。

普天堡(ポチョンボ)戦闘(後に主席となる金日成氏ら抗日パルチザンが1937年に起こした襲撃事件)の舞台となった普天郡。革命の聖地の一つだけあって道内の他の地域よりはまだ恵まれているほうかもしれないが、それでも住民の暮らしは貧しい。

気候的に稲作ができないため、主な農作物は値段の安いジャガイモやトウモロコシ、。後は林業ぐらいしか産業がない。とりわけ樺田里は山に囲まれ、商売が活発に行われていないため、住民はおしりが破れたままのズボンを穿くほど困窮しているというのが、脱北者の証言だ。

(参考記事:コンドーム着用はゼロ…「売春」と「薬物」で破滅する北朝鮮の女性たち

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ただ、商業と貿易の中心地である恵山(ヘサン)までは10キロちょっとで、村は国境を流れる鴨緑江に面している。そんな地の利を利用して密輸をする人が少なくないのだという。

銅くず1キロを15元(約234円)で買い付けて中国に持ち込めば25元(約389円)で買い取ってもらえる。30キロなので300元(約4670円)の儲けになる。平均的な4人家族の1ヶ月の生活費が50万北朝鮮ウォン(約6500円)であることを考えると、月に1〜2回密輸をすれば暮らしていける計算となる。

亡くなった男性も何十年もの間、密輸で生計を立ててきた。流れは急でも監視が厳しくない川の上流で川を渡っていた。川を渡ることそのものが危険なのに、金正恩氏の「脱北者射殺令」でさらに危険になったからだ。

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重い荷物を背負って急流を渡るとあって、毎回死の恐怖と闘いながらの作業だったが、ついに帰らぬ人となってしまった。

彼がリュックを捨てられなかったもう一つの理由は、息子の存在だ。

「彼の息子が軍隊にいるので、仕送りするためにリスクを顧みず密輸を続けてきた」(情報筋)

朝鮮人民軍(北朝鮮軍)は極めて食糧事情が劣悪なことで知られている。食糧の供給源となっているのは非効率極まりない協同農場だが、輸送過程での横流しなどで目減りし、末端の兵士にもとに届くころには、中身は安物に入れ替わり量も激減している。そんなものを食べていては栄養失調になりかねないので、子どもを軍隊に送り出した親は、子どもを餓死から救うために仕送りをするのだ。

金正恩氏も軍の食糧事情には関心を寄せており、一時はある程度改善していたようだが、今はどうなったのか不明だ。

男性が必死になって支えてきた家族の暮らしだが、彼の死後、遺された家族はたちまち生活苦に追い込まれてしまったという。また、情報筋は触れていないが、仕送りの途絶えた息子も苦しい軍隊生活を送っていることは想像に難くない。