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咸鏡北道(ハムギョンブクト)穏城(オンソン)で生まれた彼女は、1990年代後半の大飢饉「苦難の行軍」のころ、炭鉱で働いていた父を失った。1ヶ月に1週間分の配給しかもらえず餓死したのだ。母は家族を養うために中国に出稼ぎに行ったが、人身売買の被害にあった。

残された4人のきょうだいは生き別れになった。

姉は祖母の家に、妹は子供のいない夫婦にもらわれていき、当時10歳のパクさんと6歳の弟は国が運営する孤児院に送られた。ところが、環境が劣悪で、建物は狭くて食べ物もなく、餓死したり3階から飛び降りて逃げる子どもも多かった。とても暮らせないと思い弟と共に脱出した。体が弱ったので、祖母の家に行ってしばらく養生したが、回復してすぐに別の孤児院に入れられた。

そこは、ある夫婦が運営する孤児院だった。

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