事件のあった翌年、平壌では第13回世界青年学生祭典が開かれた。ソウルオリンピックを成功させた韓国に対抗すべく、金日成氏が誘致したものだ。
大会開催に向け、ホテル、スタジアムなど様々な建物が建設されたが、巨額の建設費は、既に弱りつつあった北朝鮮経済に打撃を与えた。その後、共産圏の崩壊により援助を得られなくなり、度重なる自然災害が起こったことなども影響し、北朝鮮は大飢饉「苦難の行軍」という奈落の底に進んでいった。
事件のあった翌年、平壌では第13回世界青年学生祭典が開かれた。ソウルオリンピックを成功させた韓国に対抗すべく、金日成氏が誘致したものだ。
大会開催に向け、ホテル、スタジアムなど様々な建物が建設されたが、巨額の建設費は、既に弱りつつあった北朝鮮経済に打撃を与えた。その後、共産圏の崩壊により援助を得られなくなり、度重なる自然災害が起こったことなども影響し、北朝鮮は大飢饉「苦難の行軍」という奈落の底に進んでいった。