これまでに韓国に入国した脱北者は、今年9月末までの累計で3万2000人あまり。その多くが北朝鮮に残してきた家族に仕送りをしている。
韓国のNGO、北韓人権情報センターが2014年12月に脱北者400人を対象に行なった調査では、59%が「北朝鮮に送金したことがある」と答えた。また、脱北者団体のNK知識人連帯の調査でも、51.7%が「送金したことがある」と答えた。米国務省が2014年に発表した報告書によると、脱北者が北朝鮮の家族に送金する額は、少なくとも年間1000万ドル(約11億3200万円)に達する。
北朝鮮において、韓国から送金を受けることは違法行為として取締の対象とされてきたが、金正恩党委員長は今年2月、関係当局に「海外送金作業は度を越さない程度なら協力せよ。ただし、その過程で発生した手数料は国庫に納めよ」との内部指示を下し、明文化されていないものの合法化の方針を示した。
この方針に背き、脱北者家族が受け取った送金を全額ネコババした保安員(警察官)に対して免職の処分が下された。
両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、恵山(ヘサン)市内に住むAさんは8月末、送金ブローカーを通じて韓国にいる家族から中国人民元で1万元(約16万2500円)の送金を受けた。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面現在、手数料は送金額の4〜5割なので、韓国の家族が送ったのは2万元(約32万5000円)程度だったと思われる。残りの1万元はブローカーが受け取り、そのうちの何割かを保安員や保衛員(秘密警察)にワイロとして納める。これが、金正恩氏の言う「送金手数料」だ。
ところが、ワイロを上納しなかったのだろうか、ブローカーが保安署(警察署)に逮捕されてしまった。取り調べの過程でAさん家族の存在が浮上。Aさんは保安署に呼び出され取り調べを受けた。そして、担当の保安員に1万元を没収されてしまった。
Aさんは保安員を訪ねて「一部でもいいから返して欲しい」と頼み込んだが、「国庫に納めた」として拒否された。激怒したAさんは、朝鮮労働党の両江道委員会の信訴(シンソ)課に訴え出た。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面「信訴」というのは、中国の「信訪」と同様に、理不尽な目に遭った国民が、そのことを政府機関に直訴するシステムで、一種の「目安箱」のようなものだ。元々は法制度の外で運用されていたものが、1998年に制定された信訴請願法で、法的根拠が与えられた。民主主義や言論の自由のない北朝鮮で、庶民がお上に何かを申し立てることのできるほとんど唯一の仕組みだ。
金日成時代にはそれなりに機能していたが、金正日時代に入ってからは機能が低下したと言われている。
今回の件で信訴を行うことは、自らが脱北者の家族であることを届け出るも同然の行為だ。そのリスクを知らないはずがないのに、それにもかかわらず訴え出た理由は定かでないが、何らかの根拠に基づく「勝算」があったのかもしれない。
人気記事:「女性16人」を並ばせた、金正恩“残酷ショー”の衝撃場面党の両江道委員会の信訴課は2ヶ月に渡る調査を行った。その結果、保安員は1万元を国庫に納めずネコババしていたことが判明した。保安員は10月中旬にクビにされ、一般労働者に降格となった。Aさんは1万元を取り戻すことはできなかったものの、一切のお咎めはなかった。
保安員や保衛員が脱北者家族からカネを巻き上げるのはよくあることだが、送金の横領が処罰されたことが伝えられたのは、今回が初めてだ。
(参考記事:「送れど送れど減るばかり」脱北者からの送金にタカる北朝鮮秘密警察)今回の結果が伝わるや、町の人々は拍手喝采を送っている。情報筋は「いくら敵国からのカネとは言え、庶民のカネを奪ってネコババする司法機関の職員に警鐘を鳴らした」と評価している。
もっとも、今回の一件がこのような結果に終わった理由については、北朝鮮国民にとって数少ない救済措置である信訴がまともに働いたためなのか、あるいはAさん家族の背後に権力者がいたおかげで解決したのかは判然としない。